「人生の扉」が聞こえだした時から 自然に心にまで響いてくる声とサウンド。
それは竹内まりやのデビュー曲「戻っておいで私の時間」を最初に聴いたときのカルチャーショックと同じだ。
彼女が盛っていたポップな雰囲気は唯一無二だった。
いわゆるアイドルには遠い存在感。
彼女は彼女「竹内まりや」だった。
神さまの住む町、島根圏出雲市から出て、アメリカ・イリノイ州に1年間留学。
その後、 竹内まりやという人そのものがラジオから飛び出してきた感触は他にたとえようもなく彼女そのもので、そのデビューアルバムはいまでも宝物として、部屋で威張っている。
そのときと変わらないさわやかな歌声が
♪ 長い旅路の果てに 輝く何かが誰にでもあるのさ ♪
という歌詞にのって「人生の扉」を開く。
ココロやカラダが弱っているときには寄り添ってくれるし、元気なときには「さあ、行こう」と背中を押してくれる。
彼女の人生観がそのまま、おたまじゃくしのひとつひとつにこめられて、過去・現在・未来をつないでいく。
その後は、聴いた者が自分の過去・現在・未来をどうつなぐかにかかっているが、このアルバムは愛おしいまなざしで見ていてくれるような気持ちにさせる。
そうだ。過去がどうであっても、それはその人にとって歩く必要だった道。決して後悔する必要はない。どこに向かうかを決めて、今日を精一杯活動しよう。
古い家でも、きれいに掃除して、二度とない今日を生きるために身支度を整えて、今日をはじめる。
そんなメッセージが自然に伝わるジャケットだけでも買う値打ちがある。
本名:山下まりや(旧姓竹内)
1955年3月20日生まれ。自称「シンガーソング専業主婦」。
島根県出雲市大社町出身。
山下達郎の妻にして、一女の母。 血液型A型。
出雲大社近くの老舗旅館「竹野屋」主人でもある大社町(当時)元町長の娘として誕生。島根県立大社高等学校在学中に、アメリカ合衆国アメリカ・イリノイ州に1年間留学。
慶應義塾大学文学部在学中に音楽活動を始め、1978年にプロデビュー。
デビュー・シングル<戻っておいで、私の時間(加藤和彦作品)>とアルバム『BEGINNING』は大ヒットとなる。
英文科に進むが、ゼミと音楽活動の両立が困難になり中退。
自ら作詞・作曲を手がけるようになり、メガヒット<SEPTEMBER(1979年)>、<不思議なピーチパイ(1980年)>などを飛ばす。
アレンジャーとして山下達郎が参加、やがて公私共に良きパートナーとなる。
1982年に山下達郎と結婚。山下達郎が自身のレコード会社Moon
Records|ALFA MOONを設立。やがて自身も主婦の傍らシンガーソングライターとして全曲作詞作曲したアルバムをリリースしてヒットさせる。
その後、昔からのファンに支持されながら、新しいファンを獲得し続けているのは、音楽のフレームに留まらない竹内
まりやのたぐいまれな感性が大きなインパクトとなっている。