人は自分が立てた目標なら達成できるものと思いがちです。
ところが現実はそうなりません。
達成できないときに、能力のなさ、自分には難しいと思いがちです。
しかし、その判断が間違っています。
では実際にどのように対処したらいいのでしょうか?
自分はこれまで1000名以上の人々と関わりなぜできないのか」を毎日毎日考え関わってきました。
しかし、答えはすごく簡単なものです。当たり前です。私たちが暮らしている社会はもともとシンプルなものだからです。
人は思う以上に弱い。これは自分が対面し、話し合い、関わり、考え抜き、関わってきた実感です。なかでも典型的な人たちは、ピンからキリの「依存症」となって表出しています。
それを否定するつもりもありません。人に迷惑をかけないのならそれもいいでしょう。
いいえ依存症ゆえに、たくさんの人々を幸福にしている事例もたくさんあります。
ここではクライマックスである第10章に向かって、なぜ10章になるのか、なぜ3日間だからこそ、目標達成ができるのか、その説明をしています。
面倒くさければ第10章だけを読んでいただいてもいいのです。
それに先駆けて次のことをどうしても読んでいただきたいのです。
自己実現を妨げる問題行動は、ネガティブな想像によって引き起こされます。
その背景に、ライフスキルの不足があります。特に自己肯定スキルの不足による影響は甚大です。
次に、自己肯定スキルを含むライフスキルが専門的なスキルと共に育くまれていく好ましい事例を紹介します。
「ぼくの夢は一流のプロ野球選手になることです。
そのためには、中学、高校で全国大会へ出て、活躍しなければなりません。
活躍できるようになるには、練習が必要です。ぼくは、その練習にはじしんがあります。
ぼくは3歳のときから練習を始めています。
3歳〜7歳までは半年くらいやっていましたが、3年生の時から今までは365日中、360日ははげしい練習をやっています。
だから一週間中、友達と遊べる時間は、5時〜6時間の間です。
そんなに、練習をやっているんだから、必ずプロ野球選手になれると思います」
これは、みなさんがよくご存知の現在大リーグ活躍しているイチロー選手が、小学校6年のときに書いた作文です。
この作文に「自分はきっとやれる」といった自己肯定スキルがしっかりと育まれているプロセスを明確に観ることができます。
練習漬けの毎日ですが、練習をすることによって、「友達と遊ぶ時間もないほど、こんなに練習をやっているんだから、プロ野球選手になる以外にないだろう。これだけやっているのだからそれしかないだろう」という実感を手に入れています。
選択の余地がないほど、自分と自分の時間を野球に投資しているのだから、その結果を引き受けていくしかない。という選択。それは選択肢を失うほどに、追い込まれた者のつらさでもあるのですが、それが自信になっています。
この時イチロー選手は、この現象に対して、ネガティブにもポジティブにも判断できる立場にあり、判断の選択もイチロー選手にありますが、野球のスキルが上達していることもあり、ポジティブな判断に傾き、「必ずプロ野球選手になれると思います」と結論づけています。
この状態を自分の選択で継続したことで、野球のスキルと、自己肯定スキルをはじめとするライフスキルが身につけることが雪だるま式にどんどんふくれあがっていったわけです。
「そりゃ、僕だって、勉強や野球の練習は嫌いですよ。だれだってそうじゃないですか。つらいし、大抵はつまらないことの繰り返し。でも、僕は子どもの頃から、日標を持って努力するのが好きなんです。だってその努力が結果として出るのはうれしいじゃないですか」
(イチロー:談)
最近の言葉です。ライフスキルを身につけた後の言葉です。さらに重い言葉があります。
「ここまでヒツトを重ねるには、それよりはるかに多い数の凡打を重ねなくてはいけない。やっぱり思うことは2000という表に出る数字じゃなくて、それ以上にはるかに多い数の悔しさを味わってきたことのほうが僕にとっては重い気がします」(イチロー:談)
たとえば、こんな話を聴く機会がよくあると思います。
コップの中に半分水が入っている。それを見て、もう半分しかないと思う人。まだ半分あるもあると思う人。同じものを見ても考え方はこうも違う。
ポジティブ発想、ネガティブ発想についての事例に、よく使われる話です。
このイチロー選手の談話は、どうでしょうか?
彼は失敗に関心があるようですが、そうではありません。
彼の言いたいのは、悔しい思いをするたびに、どうすれば打てるのかを考え工夫したことを言いたいのであって、ネガティブな発言ではなく、常にポジティブだったと言いたいわけです。
つまり、「打てなかったときに、落ち込む人は多いけれど、ぼくはそうじゃない。打てなかったときほど、やってやると闘志がわき、考え、工夫して、練習をした」ということです。
それを裏付ける言葉があります。
「やれることはすべてやりましたし、どんなときも手を抜いたことは一度もなかった。やろうとしていた自分、準備をした自分がいたことは誇りに思います」(イチロー:談)
イチローは特別な人でなく、みんなと同じです。
事実そのことを本人が一番知っている。だからこそ、みんなと同じだけど、みんながしていないこと、つまりイヤになったとき、落ち込みそうになったとき、仕事から離れたくなるときほど、仕事に打ち込んだことを、誇りにしたいと言ってるのです。
みんなが、していないこととは、できないことでも、あきらめずに、どうしたらできるのかを考えて行動したことです。
バットを置いて考えるのではなく、置かずに、いつも振りながら考えたということです。
過去の成功も未来の不安もない。ただいまこの瞬間、どうしたら打てるのかと、練習中も試合中も考えながらバットを振っているだけなのです。だから不安になっている時がない。
とてもシンプルです。
でもたいていの人は、嫌気がさして、つまり失意の内にバットを置いて気晴らしに全然違うことをする。あるいはバットを置いて考える。あるいはさっさとあきらめる。
そして、これが一番重要なことだけど、それと引換に自己肯定感を失っているのです。
自分はダメだと思うようになってしまうのです。
心に迫る数々のなかからピックアップしたコメントからも、イチロー選手の努力の仕方は分っていただあけると思います。
では、どうしてイチロー選手は、我慢 ガマンできるのでしょうか?
そして私たちは、どうして我慢 ガマンができないのでしょうか?