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 エビアン水とバッテリー・アシッド
 みたいなもんさ。
 ふたつを混ぜると
 愛が生まれるんだ。
 コートニーと自分のケミストリーについて〜 カート・コバーン 
 
   コマーシャルな世界じゃ破壊的になんかなれないさ。そんなことをしたら、磔にされちまう。
 逃げようがないんだ。
 俺たちはやってみたけど、それで潰されるところだった。
 カート・コバーン
   
   あんまりあからさまなのは好きじゃないんだ。あからさまだと、冷たい時がつらいし・・・。
 すごく謎めかしとくとか、ミステリアスにとか言うつもりはないけど。
 一風変わった空間を感じさせる歌詞は、いい感じの絵柄を描き出すような気がするんだ。
 俺はそういうアートが好きだってことだよ。
 カート・コバーン
   
   パンク・ムーヴメントにも、70年代後半の創世期には同じことがあった。大半のレコード会社が、初めてギグをやったばかりのパンク・バンドとどんどん契約していったんだ。
 ギグをやるようになったと思ったら、あっと言う間にメジャー・レーベルと契約さ。それが今の流行りというだけでね。
 それはつまり、どいてもらわなきゃいけない頭の古い恐竜みたいな連中が音楽業界には大勢いるってことの証明だよ。
 カート・コバーン
 
 
   コートニーと俺がそんなにいかれていると思わない。ふたりとも、いままでの人生に愛を欠いていて、それをもの凄く欲している。だから、目指すものがあるとすれば、それはできる限りの愛情をフランシスに与えることなんだ。
 それなら悪いことにならないだろう。
 カート・コバーン
 
 
   少年ナイフを見たんだ。実にクールだったよ。ビートルズのコンサートに行った9歳のこどものようなものさ。オレは髪をかきむしり、飛び跳ね、泣いた。
 素晴らしいコンサートだった。あんなに興奮したのは生まれて初めてだ。
 彼女たちはポップ・ミュージックを演奏していた。ポップなポップなポップ・ミュージックだったよ。
 カート・コバーン(ニルヴァーナ)
   
 カート・コバーンの遺書
 聴くことにも創ることにも、もう随分長いこと興奮を覚えなくなっていた。そういったことに、俺は言葉に尽くせぬ罪を感じている。例えば楽屋にいると会場の照明が落ちて、群衆の狂ったような叫びが聞こえてきても、それは群衆の憧憬の念を愛し、楽しんでいたらしいフレディ・マーキュリーに与えたような影響を、俺には与えないんだ。
 そのことは俺が、心から尊敬し、羨まく思っていたことなんだ。
 要するに、俺は君たち誰ひとり騙すわけにはいかないんだ。
 君たちにとっても、俺にとってもフェアじやないから。この思いをごまかして、あたかも自分が100%楽しんでいるかのようなフリをするなんて、俺が考え得る最悪の犯罪だ。
 ステージに上がる前に、タイム・カードを押した方がいいんじゃないかと思う時がある。俺が、そして俺たちがたくさんの人間に影響を与え、楽しませてきたんだという事実を喜べるように、できるだけの努力はしたんだ。
 俺はたぶん、独りでないと物事を楽しめないナルシストってやつなんだ。感受性が強すぎるんだよ。かって子供の頃に持っていた情熱を取り戻すには、もう少し鈍感になる必要がある、
 ここ3回のツアーでは、個人的な知り合いや、俺たちの音楽のファンを、前よりずっとありがたく思えるようになっていた。それでも俺は、みんなに対する不満、罪悪感、そして同情から脱け出すことができなかった。
 人間、誰しも長所がある。俺はただ、人間を愛しすぎるんだ。愛しすぎて、あまりにも---情けない---情けなくて、ちっぽけで神経質な、歓迎されない女々しい魚座のジーザス野郎に思えてくる。
 いい人生だったよ。本当にいい人生だった。ただ、俺は7歳の頃から人間全般に憎しみを抱くようになっていたんだ。たぶん、単純に俺は人を愛しすぎ、人の気持ちがわかりすぎるからなんだろう。今までにもらった手紙や思いやりに、焼けただれた腹の底から礼を言うよ。俺はどうしようもなく変人で気分屋だから、もう情熱を失ってしまったんだ。覚えておいてくれ。
 消え去るより、燃え尽きた方がいいんだってことを。
 
 平和、愛、同情、カート・コバーン
 1994年4月
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