HORSES/PATTI SMITH

1966年、17才でロックンロールマガジン
<クロウダディ>を創刊したポール・ウィリアムズ

見よ、なんじら、さらにその奥に横たわるものを。「白鯨」のエイハブ船長がいったように、すべて目に見えるものは、ボール紙の仮面でしかない。しかし、ひとつひとつのできごと、ひとつひとつの行動の表層---無関係に見える仮面の奥には、そういう仮面がうちたてられるに到った、あきらかにされていない、正当な根拠となるものがある。どうしてこんなことをいうかというと、このレコード<グローリア>は、ひとりの人間の神との関わりかた、自分自身との関わりかた、性との関わりかた、そしてなかでも、継承したものとの関わりかたを語っているといいたいからだ。継承したものとは、彼女より前に出現して---ゼム(ヴァン・モリスン)の<グローリア>のように---最初にこの現実のベールを突きやぷって見せたものという意味だ。
パティ・スミスは、ロックンロールの新しい時代、第三世代の先導者だ。ローリング・ストーンズを引用することによって、チャック・ベリーを引用し、ヘンドリックスとジム・モリスンを讃え、歌詞と精神の両面で<ランド・オヴ・テン・サウザンド・ダンシズ>を参考にして、アナーキーで熱狂的ですばらしい詩を書く。
パティは、意味のあることをしよう、気のきいたものをつくろうとして、こういうことをしているのではない。彼女はただ、自分の真実を告げているのだ。仮面の奥にあるものに触れようとしているのだ。それをするため、彼女もまた仮面をつける。

1974年の自主制作シングル<ピス・ファクトリー>はとてもすばらしいレコードだったが、1975年のデビュー・アルバム<ホーシズ>からのシングル<グローリア>はさらにすばらしかった。まったくの歓喜のさけび、アドレナリンの送り---忘れることのできない、決して取り消されることのない存在の宣言。宇宙よ、このわたしを見なさい!
ヴァン・モリスンの<グローリア>とはちがうが、それを内包し、それと重なりあう(あるいはとちゅうからそれといっしょになる)パティ.スミスの<グローリア>は祈りのことば---自分を主張することば、神を神としないことば---ではじまり、最後のクライマックスと祈りの締めくくりにも、(ゆっくりと慎重に)おなじことばがくりかえされる。
「イエスはだれかの罪のために死んだ。でもわたしの罪のためじゃない」カソリックの娘の独立の宣言であるこのことば。それはたやすいことではない。宣言をしたいという欲求こそが、人は自分で願っているほど自由ではないことを示しているからだ。歌は、つぎは先手をとりに出る。
彼女は誇り高いすばらしい姿勢で「人は用心しろという。でもかまわない/わたしにとってことばはやっかいな規則でしかない」と強気に出る。
つぎにはレスビアンの恋愛の話だ。物語の前半、歌の主人公は自分が冷静であるといっている(「その。パーティーへ行き、退屈した」)が、その冷静さは性的欲望によって破られる(「窓の外を見て、かわいい若い子をみつけーああ、とてもきれいな子」)。性的ファンタジーが突然現実に変わり、愛の対象が声の届くぐらい近くに来る(「あの子がこっちに来る!」)。その後のことは、不適当と判断されたというより、時間のためだったのだろう、アルバム・ヴァージョンより一分短いシングルでは省略されている。音楽的には、凝縮されて強力になったが、鍵となる場面はなくなった(暗に語られているだけになったといったほうがいいかもしれない)----「わたしは、この高い塔の時計を見て「ああ、どうしよう。もう十二時!』という。わたしのかわいい人がドアを入ってくる---わたしにささやく---」歌は、その中心的部分へと爆発する。パティは、ヴァン・モリスンなど彼女の子供時代からの神々に挑戦する。べつのことばでいえば、彼らと対等にわたりあえと自分自身に挑戦する。
すばらしいバンドに支えられ一彼女のオペレッタの各動作や雰囲気にあった、完全で妥協のないロックンロールで、歩みのひとつひとつについてくる)、パティは「そして彼女の名は、そして彼女の名は----」と歌い、つぎに呼びかけと応答の形式で「グローリア」の名を綴るコーラスが爆発する。彼女は巨匠たちと力を競って、自分の全人生で最高にセクシーで最高に強力な音楽をつくろうとする。そして(息を切らしながら)成功し、不滅の人々の仲間入りを果たす。
そのあとの歌で、このうぬぼれた誘惑者は恋に落ち、ほかの女性が訪ねてきても「わたしには聞こえないし見えない/わたしは、大きな塔の時計に目をやる/そして心のなかであの鐘が語るのを聞く、ディン・ドン・テイン・ドン・テイン・ドン・ディン・ドン・ディン・ドン・一アイン・ドン・一アイン・ドン・ディン・ドンと/時間をおぼえておいて、わたしの部屋へ来るときにはー」ヴァン・モリスンの<グローリア>からの引用はすばらしい。「とてもいい」「そして彼女の名は」ということは。さらに恋人が通りへ、家へ、ドアヘ、部屋のなかへと近づいてくるときのとても特別な高まり。しかし、女性詩人でストーリーテラーでロックンローラーである。バティがやってのけたいちばんすごいことは、ヴァン・モリスンの<グローリア>の冒頭のイメージ(「彼女は真夜中ごろにやってきた」)の使いかただ。彼女はそれに鐘の音を加えて、いくら人がもったいをつけても、セックスと神と愛は結局は不可分であることをあきらかにする。「人が打つのなら、それは仮面の上から打つのだ!囚人は、壁を突きやぶらずに、どうして外に出ることができようか?わたしには、白い鯨、それがせまってくる壁なのだ」「そして彼女の名は、そして彼女の名は、そして彼女の名は、そして彼女の名は---」