 |
マネジメントは日本のこころを取り戻す。
パリ。NYグリニッジ・ヴィレッジ、SFノーズビーチへ辿り着いたビートニク世界、スポークンワーズ世代の継承された詩人の魂、さらにヒッピーの対抗文化はインターネットに組み込まれて来た。
最後の避難地を経て「緑色革命」はどこに行ったのか。シリコンヴァレーに潜り込んだボヘミアンの精神を受け継ぎながら、あらゆる文化の血脈の先に個の発見を求めてきた、夢を映すエントリー・ポイントとして、禅はマネジメントを鮮やかにみどりいろに変える。
|
|
『緑色革命』を読んだ時、引き裂かれる衝撃を覚えたものだった。いまではLOHASの先駆けともいえる『緑色革命』。
価値観の多様化がはじまった時代であったにしろ、ひとの幸福への関わり方が経済社会の正義とあまりにも違い過ぎたからだ。
その時から、相反すると思えた「正義」の整合性を求めるのが静かなライフワーク になっていた。
『緑色革命』は、村上春樹の代表的傑作「世界の世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド」の一節にも登場する。
|
私自身の自我にふさわしい有益な人生を手に入れることができるかもしれないと考えたことだってあった。そしてそのために私は自己を変革するための訓練さえしたのだ。『緑色革命』だって読んだし、『イージーライダー』なんて三回も観た。
|
『アメリカン・ニューシネマの傑作映画「イージーライダー」と並んで引用されるように、「緑色革命』とは、新しい価値観を説いたもので、チャールズ・A・ライクが1970年に出版した著書は、ヒッピー文化の核となったもの。
1960年代終盤から70年代初頭、学生運動が吹き荒れたのと時を同じくして熱病のように世界に広まったヒッピー的生き方を推奨するものだ。
学生運動の様子はジェームズ・クネンの学園紛争体験を綴った「いちご白書」(原題The Strawberry Statement)などで世界的に知られていて、ユーミンの「いちご白書をもう一度」の元ネタでもある。
ビートニクの流れを汲んだ系譜は、いまでもニューヨークやサンフランシスコに行けばその香りはプンプンしている。シリコンヴァレーもその先にある。
アップル社のコンピュータMacintoshは、その産物といってもよく、熱狂的な信者を創出している。
Macintoshとはコンピュータ、電子ツールというより、文化そのもので、iTunesが継承している。
グーグルも然りで、ハッカーカルチャーの発展したものと見ることもできる。
これらは一見無関係のように思えるが文化とは伝染して行くものだ。
それはR&B、ロカビリー、ロックンロールなどの系譜と似ていて「複雑系」に語られるカオスが発色する光と影なのだ。
裏の世界ではヒッピー、ハッカーなど対抗文化が蠢き、メインストリームではマイクロソフトなどが巨人IBMを手玉にとったという案配だ。
ハッカー集団のようなグーグルが世界を制する時代。
なぜ日本にはグーグルのような企業が誕生しないのか。
一因は「みんなと同じ」を好む恥の文化とそれを作り上げて来た縦社会に支えられていることにある。
グローバルな競争に晒されている会社はもはやタテ社会ではないが、いわゆる保護産業や官庁では、相変わらず先輩後輩の区別にこだわるタテ社会が健在だという事実を踏まえて、つまりイヤイヤながらタテ社会に訣別するのか、なにがなんでも変わろうとしないのか。
しかし、それもここでは重要とはしない。さらに原因を探ることも重要でなく、どうすれば日本文化のよい面を尊重し継承しながら、現代に対応する生き方をするにフォーカスできるかということにある。
治安の悪化となる要因は万人にふりかかる問題で、いまもっとも必要とされる主体的、能動的、創造的な活動への時間と費用を間引くことになるからだ。
つまり、あらゆる職場で「個の発見」への取り組みが問われているのだ。
それこそ、従属するひとが主体的、能動的、創造的な活動することを念頭に置いて、その実現に疾走するべきである。
「そんなことは以前からやっている」という声が届くが、大切なのは質なのだ。
誰かに強いられた他動的な勤勉ではなく、病的なまでに主体的な勤勉でなければ創造的な活動はできない。
個の発見、個人の幸福、ライフスキルとモチベーションの関係については、説明してきたが、「禅とマネジメント」ではマネジメントとの関係を中心に説明していく。
|
|
|
禅の言葉である「只管打坐」とは、ただひたすら坐禅するという意味です。
ひとつのことをひたすらやっていれば、考えても仕方のないことを考えなくなり、ただやっている状態に到達します。
ひとの幸福とはその状態です。
しかし、それができないのが一般的。そこで幸福の定義がいろいろできます。
「禅とマネジメント」は幸福の追求の仕方を正すことで、マネジメントを正します。
ライフスキルの究極は「只管打坐」です。「只管打坐」を実現する手段がライフスキルなのです。
価値観の混迷を避けようもない 2010年代、マネジメントはその調和に向かいます。
|
|
| |
|
| |