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実践アサーティブ  
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だからアサーティブ 私は境界を大事にする 


たとえば、職場で上司の機嫌が悪いとき。
「課長、なんだか今日は機嫌が悪そうだな、なんかあったのかな」とあなたが思えば、
「今日の課長、えらく荒れているようだな。昨日ボクがクレーム出したのが原因かな、困ったな、また叱られるかな」と同僚は考える。

同じ場面でも、人それぞれに感じ方が違います。

コップ半分の水を見て、「もう半分しかない」と考える人、「あと半分ある」と考える人。有名な「半分のコップの水」の話と同じで、同じものを見ても感じ方が違います。

つまり、物事に絶対的な「事実」があるわけではなく、私たちが個人的に、あるいは誰かの影響を受けて意味付けしているのにすぎないのです。それにしても特有のもので、たとえば国が変わればまるで違う判断になることも珍しくありません。

たとえば「クジラ」に対する考え方の違いはいい事例です。解釈が違うだけでなく、食文化でとらえる日本、生き物としての能力の高さでとらえる諸外国というように見ている立場が根本的に違います。出来串に対して肯定的に受けとめる人がいれば、否定的に受け止める人がいます。つまり私たちは、あるがままに見ているのではなく、自分の色眼鏡を通して見ているのです。

  このどうしょうもない事実を受け入れなければ、公平なコミュニケーションはできないと考えるのが良いコミュニケーションをする前提になります。

基本的に、自分の感じていることは自分だけのものなのです。他者が感じていることは他者だけのものなのです。つまり感じ方の違いは、人と人の間に境界があることを語っています。 だから私もよし、あなたもよし、お互いに自分の考え方を大事にしましょう。と互いの領域を認め合います。

さて、ここでひとつ間違うと、私は私、あなたはあなた。お互い好きにしましょう。になります。それは冷たいですね。「私もよし、あなたもよし、」とは、「私は私を大事にするけど、あなたのことも私の事のように大事にします」ということでないとつまらないですね。意見の違いはあるけれど、だからといって私はあなたに対して率直、誠実、対等に、責任を持って自分の意見はアサーティブに伝えますね。あなたも同じようにアサーティブに言ってくださいね。参考にしますね。と言う事の方が楽しいしうれしい。自分のことのように心配してくれる友人はありがたいものです。

それは支配ではありません。私が心配しているのに私のいうことを聞かないのは許せないとなると支配です。どんなに心配しても相手にはなれない。その切なさがあるから、自分のように心配する気持ちを大切にしたいですね。

私はここまで、ここから先はあなただけの世界。だから精一杯応援してますね。
境界線に立って、手を振る。

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