あなたが、用意すのは大きな決断と少しばかりのお金。
そして、 小さくても大きくてもいいから、「ありったけ」の勇気。
いつまでも「したいこと」「やりたいこと」 ではつまらない
・・・まあ、それは私の意見ですが。
でもサイアク、転んでも、「したこと」「できたこと」が残ります。
少しばかりのお金ではないと感じられた場合、費用対効果で判断してください。
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登録の申込をします |
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登録確認書類が送られてきます |
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目標を設定します 、その他必要事項を記入していただきます。 |
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登録確認書類をご返送していただきます |
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目標を共有します。 (マートワンが審査、合意が前提です)
| 売上はこの段階で発生します。 |
| WEBサイト上で精算は完了しません。 |
精算が完了して、登録が完了します。 |
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期間をいくつかのステージに区切り、
それぞれのステージに目標と期限を設定します。 |
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それぞれのステージを達成するために
ゲンキポリタンから毎日メール配信します。
うっとうしいなって思ったら無視もOK。 |
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あなたの必要で電話相談やメール相談受付もOKです、 |
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ともかく各ステージの目標は達成してもらいます |
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各ステージごとにあなたの進化を相互チェック。
しっかり確かめながら、なりたい自分になってもらいます、 |
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登録の申込 ページに
| ▼WEB上で進むのは規約の承諾と、登録の申込までです。 |
契約はWEBサイト上で締結しません。お買い上げもWEBサイト上で完了しません。
WEBサイト上で行われるのは、規約の承諾と、登録の申込までです。
(WEBサイト上では登録の完了できません) |
自分の夢や希望が叶うといいな。
自分の望む仕事がしたい。外国で働きたい。
あるいは、「好きな人から好きだよ」って言われたい。それもそのひとつ。
みんなから認められたい。自分の存在価値を感じたい。
人から必要とされたい。
自己実現の形はいろいろ。
私たちは「社会に暮らし、そこで自分を認めてもらい、自分の夢を実現したい」
で、その社会はどうなっているのかっていうと。
格差社会と、しきりにテレビでいうけれど、 どうなんでしょう。
何についてもラベルを貼るのは勝手だけど、現実は河の流れに似て、動き続け変わり続けている。
だから、願望だけで留まっていないで、動いてみましょう。
自分を夢の河に投げ込んで流れていきましょう、
自己実現の空に飛ばして、ここから遥かな場所に渡っていきましょう。
あなたは自分という飛行機を持っています。
でもエンジンが回らない。あの空の向こうまで飛んで行けそうに思えない。
そんなとき、誰かが飛行機を押してくれたら・・・..
空から墜ちそうになったときに、レスキュー隊がすぐに来てくれたら・・・・
ゲンキポリタンがその役をします。
どこに飛んで行くのか。それはあなたが決めること。
そこでなにをするのか、それはあなたが決めること。
ゲンキポリタンは、あなたが飛ぶこと、飛び続けるサポートに専念します。
ゲンキポリタンは「あなたの飛びたい」を「飛んでいる」に変えます。
どのようにして?
目標を共有します。
スケジュールをプランニングしていただきます。
その実行で起こってくる「できない」「しない」サポートします。
「できない」「しない」 を体験することによって、「私にもできる」という実感をもっていただくようにします。
なんでできるのか?
原理原則は、スポーツでも語学マスターでも同じです。
たとえばマクドナルドのCEOは、以前アップルコンピュータのCEOでした。
異業種を手がけて成功させているのは、ビジネスの原理原則は変わらないからです。
それと同じことがあなたの場合にも起こるのです。
特にライフスキルの修得度はキーになります。
たとえば語学をマスターしたいとします。
ゲンキポリタンの『Agari」は語学を教えません。
しかし、同じ学校で学んでいても差がでるのはどうしてだと思いますか?
ライフスキルの影響を受けているからです。
ゲンキポリタンは、あなたの自己実現へのチャレンジを通してライフスキルをアップすることに専念するわけです。
スキルがアップするから、あなたは自分がやりたいことにより積極的に取り組めるようになるのです。
なんでそんなことをしているのか?
格差 社会と、しきりにテレビでいうけれど、 どうなんでしょう。
基本的には変わっていません。でもひどくなっていると思います。
いい面が継承されずに良くない面が継承されている、そんな気がします。
どうしてだろうか?と思うとき、一冊の本がカラダを通過します。
1970年代初期に「緑色革命」(チャールズ A.ライク)
ってアメリカの書籍がありました。
1960年代後期から起こった深い文化革命について書かれた書籍です。
チャールズ A.ライクが書いたものでは「システムという名の支配者 われわれの社会が変わらないのはなぜか」というのもあります。
チャールズ A.ライクががジェリー・ガルシアとの対談をまとめているのが「自分の生き方をさがしている人のために」という書籍もあります。
ジェリー・ガルシアとは、ロックバンドグレイトフル・デッドのメンバー。
ダンシング・ベアでも有名なロックバンドですが、いまでは彼らはロックバンドの領域を超えていて、自由、自己解放、エコロジー、アメリカ文化のアイコンとして有名です。
ドラッグ・バンドという側面もあるのですが、その部分はさておいて、カルチャーショックを受けたことを記憶しています。さらにさかのぼればソローの「森の生活」があります。
当時、「緑色革命」に突き動かされたものの、具体的にどうしていいのか分らず、「この世界は確かにおかしい」と共感するばかりでした。
この書籍を読んでいて強く思ったのは、人が幸福にならない社会システムは間違っている。
かと、いって個人的に現実問題としてドロップアウトするわけにもいかない。
でも、人の幸福をずっとたどっていくと、つじつまがあわなくなってしまう仕組みはおかしいのだいうことだけが残りました。
この世界は、なにごとも循環していて、循環しない原理原則はおかしいと感じました。
そこを出発点として、仕事と個人生活に相互関係のどちらかに犠牲が生じるのはおかしい、そうなってはいけないと思いながら暮らしてきました。
ものすごく働いた時期があり、やがて、仕事を通して、仕事は愛だと思うようになりました。人間への愛です。
一緒に働く人、お客様である生活者、関係する業者さん、みんなとの間に愛があってこそ、うまくいくものだと感じました。
その考え方は変わりません。
それは、チャールズ A.ライクの訴えた概念と違うかもしれません。同じかも知れません。
でも人の幸福の暮らしを考えたら、仕事はどうあるべきかを思うとき、どこから切ってもつじつまが合わないものはおかしい。と思っています。
それは優れた工芸品のように美しいものです。
美しい景観のように余計なものが何一つない。その景観の入るひとつひとつが必要なように必要なものだけがある世界と同じです。
自分はみんながイチロー選手のように暮らしたら、「緑色革命」でいう社会は創れるんではないかと思っています。イチロー選手に全然興味も関心もなかったのですが、彼のインタビューやオールジャパンでの活躍に触れたとき、俄然大ファンになりました。
同じことは王監督にもいえます。
それは野球選手、監督というより、人間としてのファンです。
「仕事は愛だ」と思う自分のポリシーも、「緑色革命」も、「イチロー選手の存在とメッセージ」も、その根本は自己肯定(セルフエスティームスキル)につきると思っています。
いまの社会はまだその問題が解決できないでいます。
「自分もOK、他者もOK」という姿勢がこの社会にはものすごく少ない。いじめ問題が学校、社会を問わず激しさを増すのは、ますます「自分はNO」と思うこども、おとなが増えているからです。
「自分もOK、他者もOK」のスキルを身につけていない人が多いからです。
「自分はNO」と思う親が子育てを続けたらどうなるか、「自分はNO」だらけになってしまいます。
自己否定感から、空虚を満たすために金持ちになれても、本当の自己実現はできません。
「戦争に負けたのであって奴隷になったわけではない」との言葉が有名な白州次郎氏のこんなエピソードがあります。
敗戦後、占領下にあった日本。
白州次郎氏は、昭和天皇から預かったダグラス・マッカーサーへのクリスマスプレゼントを届けた際、マッカーサーがプレゼントがぞんざいに扱ったことに激怒「仮にも天皇陛下からの贈り物をその辺に置いてくれとは何事か!」と持ち帰ろうとして、マッカーサーに謝罪させたエピソードは、
「戦争に負けたのであって奴隷になったわけではない」との言葉と共に。礼節、律儀と人間の尊厳の関係について深く考えます。
ロッキード事件が起ったときに、新聞一斉に「容疑者の田中は・・・」と書き攻勢しました。
白州次郎氏は田中角栄総理にもともと批判的でした。
白州次郎氏は、この段階で、新聞社の社長に向かって言います。
「田中角栄さんを叩くのはいいですが、あなたの新聞は四年前彼を今様太閤として、「戦後日本が生んだ英雄」とおだてていました。今、容疑者田中と書くなら、なぜその前に『本誌はかつて彼を英雄扱い致しました、これは読者を誤らしめる不正確な報道でした』と、お詫びと訂正を載せた上で書かないのですか」と主張したのです。
この姿勢こそ、マナー、エチケットの原点ではないかと思います。
神と崇められていたマッカーサーに激怒したのと同じ理由ですよね。
白州次郎氏には「原理原則」という一貫性があります。
ライブドア事件を見ても分るように、こういうことが直らないまま、逆にエスカレートしている。
どんどんマナーもエチケットも失われていて、結局、回り回って「いじめ問題」になったりしています。
agari(アガリ)
は、そういう暮らしのなかにあって、自己実現しにくくなっている人たちが増えていることを危惧しています。いらぬお節介と言われたらそれまでですけれど、頼まれていないけど、やってしまえ主義で、やっています。
仕事って・・・頼まれたことしかしかしない仕事ってどうですか?
たとえば
イチロー選手は応援してくださいって頼んでいない。
でも、イチロー選手が発しているメッセージに共鳴して、あなたのような人が必要なんだ、だからがんばってください」と自然と応援するのと同じだと思います。
応援する側も応援される側もです。
無償の行為だったらいいのは分っているけれど、深い知人ならともかく、知らない人同士で、それって気持ち悪いってこともあるだろうし、プロ意識で取り組む必要もあるだろうし。
実際、時間を投入するってことは、生死にかかわる問題ですので、対価をいただくことになります。
だけど、その底辺にあるポリシーは、幸福になるお手伝いで、それを通して、「ああ、よかったな」って、こちらも幸福になる。そういう仕事をしてきたから、そういう仕事をしたいだけです。
そういう仕事をしてきたのは、主に会社対象ですけど、そく、仕事の仕方について注文つけているだけです。
それのときに、厳しいことも人に言う。傷つける気は毛頭ない。
その人を責めているのでなでも、傷つく人は必ずいるわけで、悪いなと思っています。
agari(アガリ)は、その逆で、そういう人を応援することをテーマにしている。
だから自分でどんどん自己実現できる人に、「こんなものいらない」って言われていいのです。
だけど、そうでない人もいる。
いることを知っている。ビジネスの現場で、やってきたから知っている。
やり直したいって気持ちすら失っている人もいるだろうけれど、心の隅で、そう思っていたら、やっぱりやり直してほしいと思います。
どんな形にしろ、お手伝いできると思っています。
じぶんの夢のなかに自分がいる。自分に出会う旅のお手伝いを仕事にしています。その旅は温泉めぐりよりハードで、温泉めぐりよりはるかに楽しい。自分たちはそのツアー・コンダクターかも知れません。
あるいは個人秘書?メンタルケアのボディガード?
どんな表現していただくかは、使っていただいた方の感じ方にまかせて、自分たちはひたむきに仕事をすることに専念しています。
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