ただひとりの男はウォルマートで
当たりの男になる。
ウォルマートは1945年にサム・ウォルトン氏がアーカンソー州ニューポートでウォルマートのなる前身となるバラエティストアを開業したことから始まります。やがて1962年にウォルマート1号店がオープン。
現在では全米最強のディスカウントストです。
ボクはウォルマートのようなディスカウントストアやスーパー、ホールセンター・・・が大好き。
ターゲット、シアーズ、サムズ、イケアUSA、コンブUSA、バーンズ&ノーブル、ウォルグリーン、オートゾーン・・・・日本での営業が近いウォルマート、すでに営業しているコストコ、カルフール、オフィスデポなども含め楽しさ満載。
どれもこれもディズニーランドやユニバーサル・スタジオよりずっと面白い。
飛行機の中で途中まで観て寝入ってしまったものの、気になっていた映画がありました。
なんと従業員に隠れて、ウォルマートに住みつき、出産までしてしまうというストーリーが面白くて、その後、続きが見たかったものの、タイトルも分からずそのままだったのが、ようやく『あなたのために』ということが分かってビデオで観た。女性におすすめのいい映画です。
アメリカでウォルマートのようなディスカウントストアやスーパーで買い物された方は多いと思いますが、食品の豊富さに反して意外に衣料品の品数が少ないことに気づかれましたか?
実はこれが国民性の違いであるだけでなく、日本人のブランド信仰の秘密が隠されています。
品数を見て日本人なら色、デザインがもっと豊富でないと物足りないと考え勝ち。
ところがアメリカのは、品数が少ないようだけど、TPOとコーディネートを考えているので、少ないから逆に便利で、上から下、持ち物まで安い費用で揃ってしまいます。
日本は確かに色、デザイン豊富だけど、それじゃバランスがとれるかというと、もともと調和を考えていないから、それぞれが目立とうとします。
どんなにきれいな色も、デザインも、いい生地も、着る人が上手にコーディネートしてこそ輝くのであって、コーディネートしやすい色やデザイン、生地でないといいものとは呼べないのではないでしょうか?
コーディネートしようとしたら、工夫がいるし、工夫できない方は同じコンセプトでデザインされたブランドものを買うしかないような状態になってしまうわけです。
こんな状況は世界の非常識であり、消費者の不幸なのです。
「無印良品」が人気なのは、コーディネートされているからです。
テレビなんかでファッションのうんちくを話していても、この問題に触れる人がいないのは残念。もっと声をあげないと商品開発は変わらないですよね。
高いものを買わされる暮らしのあり方は、声を出さないと変わらない。
食品もコーディネートが大切。やはりそれぞれが主張してバランスを欠きます。甘くておいしすぎるパンは具の味を殺してしまうのでサンドウィッチには不向き。
肉がまたまたBSEで大騒ぎ。アメリカにはミンチ肉にしても脂肪分の表示がありますが、日本にはありません。
つまり脂肪分の多いミンチ肉を食べていることになっています。
消費者を守る法規制はアメリカよりおよそ5年遅れです。化粧品の全成分表示が施行されたのも2002年からです。妊婦の羊水から石鹸の匂いがするって話ご存じですか。海に流された台所や風呂の水が魚の体内に流れ込み、その魚を人間が食べているからです。
家具や家電も同じくどうしてこんなデザインになるのかと思う程恥ずかしいものが溢れています。それぞれが目立つデザイン、色、おかげで家の中は色と形の氾濫、
バラバラで落ち着きのない部屋になってしまいます。
アメリカの家庭ならまず部屋全体の統一感を大事にするのでバランスを考えます。
アメリカで色調の統一されない部屋は狂人の部屋と呼ばれています。
だからバッグにしてもヴィトンならすべてヴィトンで揃える。安手のものであっても同じように揃えます。ヴィトンだから揃えるのではなく、同じもので揃えます。
ですからアメリカの店の方針は価格ゾーンで決めます。ピンからキリなんて品揃えをしない。そうしないとお客さまがコーディネートできないし、値段が不安で買い物しにくいからです。
アメリカでは100年続くセルフサービスだけど、セルフサービスの思想も意味も日本と違うので、買ったものを自分で袋にいれるようなことはない。
レストランではどこでも食べ残したものを持ち帰ることができるように箱を用意してくれている。
お金がかからない頭を下げることより、もっと大切な価値あるサービスがいっぱいなのです。
だからボクには、アメリカのディスカウントストア、スーパー、ホールセンターは、まさしくワンダー・オブ・ユーなワンダーランド!
街並もコーディネートされるのは自然な結果です。
日本はコーディネートを軽視する国民がやってるので、街も同じく汚くみえます。
神社の隣がラブホで、向かいが学校、その隣がコンビニで、隣はマンションというような状況が看板や色と併せて起こる。
なぜこんなことになったのでしょうか?
モノの豊かさよりも心の豊かさなんてフレーズも随分、昔です。
豊かな感じが薄いのは、ご都合主義、よかれと思ってしたことも含めて「自分勝手」、奇妙な「個人主義」が蔓延しているのも関係しているかも知れません。
ボクたちは、孤島に暮らしているわけでもなく、なにかひとつを使って暮らしているわけではない。いろんなもの、いろんな人と交わって暮らしています。そのことを前提にしてモノも心もあるはず。
ちいさな背丈の子供もいれば、支えが必要なお年寄りもいます。
そして、暮らしは学習そのものです。学習は学校や職場、本や新聞だけではない。スーパーやマスコミ、街頭の光景、ひとはそういうものから学習していきます。
統一感、コーディネート、デザインを重視する社会で暮らすのと、日本のような国で暮らすのでは、国民の意識が違ってくるってこと。
それにもっと大事なことがあります。
統一感、バランス、コーディネートは「決める」という前提なしにはありえない。
決めることを小さい時から日常的に学習している。
食事ひとつにしても聞いてきます。
ジュースは何がいいか?コーヒーか紅茶か?パンの焼き加減は?ソースはどちらがいいのか?決めていかないと毎日が進まない。決めていくということはひとつを得る代わりに他を捨てるということ。
でもそれが自然に決めることの訓練になっていて、個の尊厳、個性、スペシャリストへの道筋になっているのです。
逆になんでもありはダイナミックなようだけど、統一感のない部屋の混沌が表現しています。
その上、定食のようにセットものに慣れていて決める機会が少ない。少し改善されましたが国内のパソコンだって定食発想でした。
結局なにをしていいのか分からない精神構造を作っています。
ブランドものは高いだけのことあっていいものが多い。
でもコーディネートする能力をお金で買っていても、身につかない。
アメリカ白人が日本人のようにブランド信仰に陥らない理由のひとつは、いいものの定義が違うからでしょう。
作る側の主張ばかりが際立つ「いいもの」は民主主義ではない。
いいものとは、誰でもいつでもどこでも容易に入手できて、安くて便利で、他とのバランスがとれて、安心して、楽しく、気持ちよく使えるものです。
つまり生活者に状況を考えたもの作りこそが民主主義なのです。
B級ロマンスムービー『あなたのために』はエルヴィス・プレスリーの国によくある市井の物語。
エンドクレジットロールにカントリーナンバーが流れると、おお、これぞ、アメリカ映画の王道!と思わずうなずき拍手する楽しさです。
ナタリー・ポートマン, アシュレー・ジャドの美女2人が、どこにでもいそうな女性を演じて競演。
アシュレー・ジャドが、ヤンキー女のリアルを凝縮、いい味出していて、「当りの男だったのよ」って幸福な笑顔を見せて、観てるこちらも”よかったね”と思わず安心してしまう。
当りの男のその訳は映画を観る方のために残しておくにして、少しだけ触れると
甘い夢みて、人生の苦渋を舐めてきた男女が集まって、傷や埃まみれの鍋の中、他者の気持ちを思いやり隣のウォルマートのように便利で、安心で、楽しく、気持ちよくつきあえる男なのです。
ただひとりの男から当たりの男へ。
キング・オブ・ロックンロールの歩んだ道にハリウッドB級映画の山。
エルヴィス・プレスリーが主演した劇映画に芸術の香りがないばかりか、本来のエルヴィスですらない場合が少なくない。
しかし年に3本の大量生産、誰でもいつでもどこでも容易に入手できて、安くて便利で、他とのバランスがとれて、安心して、楽しく、気持ちよく使えるもの・・・・エルビス映画の思想そのものでありハリウッドが突き進んだ娯楽の王道。人々の日常に使われる癒し。典型的な大衆品にして民主主義の幸福な形です。

エルヴィス・プレスリーという唯一無二、真面目の不埒、妖しく毒気の強いキャラクターに”大衆””民主主義”をふりかけて、夢の工場、ハリウッドでボブ・ホープ、ジェリー・ルイス、ランドルフ・スコット、オーディ・マーフィ・・・・ハリウッド流に調合すれば、世界中の幼稚園児からお婆ちゃんまでが楽しめる、星座も揺れる眩いエルビス映画の出来上がり。
その奇妙なアンバランスは、ありきたりな映画評論に委ねたり、軽々しく語れない意味あるもので、とってもいい時代の産物。
事実、豊かになったからこそ出来てしまった繁栄の光と影が交叉しケネディ暗殺事件が発生。悲劇からなだれこむ重苦しさの際立つ時代に、急速にエルビス映画も楽しさを失います。
そしてジョン・レノンが反戦を唱え
ビートルズが輝きます。
つまりエルヴィス・プレスリーとは民主主義そのものであり、ビートルズは民主主義を主張したのです。
エルヴィス・プレスリーはその貧しさの体験から、アメリカ民主主義の善からはみだした自身の孤独を表現し若い世代の圧倒的な支持を獲得して成功しました。
アメリカ民主主義の善の部分を渇望したからこそ、それゆえ自身が善になり、エルビス映画やラスベガスのステージで人々に光を与えました。多くの人々にとって当たりの男になったのです。
その実現を可能にしたことがもっともアメリカ的な力だと思うのです。
それは民衆が求める豊かな社会の姿であり、だからこそ人々はエルヴィスが忘れられない。
あまりにも有名なエルヴィス・プレスリーが主演した映画だからこそ、意見もいろいろあるけれど、エルビス映画のルーツは民主主義なのです。
『オースティン・パワーズ』のおバカパワーも同じ。
ウォルマートとエルヴィス・プレスリーとエルビス映画・・・ナタリー・ポートマン、アシュレー・ジャドの涙と笑顔。
他愛もない映画にこそ散りばめられた幸福の香りを思い起こしながら、豊かな暮らしとはどういうことかを考えています。
いま僕はこの文章を新幹線の中で打ち込んでいますが、隣に座っている英語を話す白人女性の足元には大きなキャリーバッグがあり、彼女は足を伸ばすこともできずに汲汲として座っています。
列車にバッグ置き場が設置されているアメリカでは考えられない光景です。
ヘッドセットから聴こえる<ミステリー・トレイン>の恍惚とは縁遠く、エルヴィスが泣いているように聴こえます。 「こんなことしてはいけないよ」ってね。

<ただひとりの男/I WAS THE ONE >は
画期的な大ヒットになった
RCAデビューシングル
<ハートブレイクホテル>の裏面に収録されました。
THE ELVISが発行されます。THE
ELVISについての情報はこちらに。
「私のウォルマート商法」でウォルマートの研究
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