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お気に入りのエルヴィス
エルビス・プレスリーの『恋のKOパンチ』
愛ピの好きなエルヴィス・プレスリー

エルヴィス・プレスリーの薬物疑惑。
そしてボクはマトリックスから脱出する

人気シリーズ『マトリックス』をビデオで見たが、何度見ても同じところで眠ってしまって前に進まない。にもかかわらず世間で人気だったので、社会見学の意味で劇場で『マトリックス リローデッド』を見た。頑張って見ようとしたが、意味がさっぱり分からず、やはり寝てしまった。。で、繰り返し、もとの『マトリックス』にトライ。

やっと寝ずに通して見て、意味が分かったらなんのことはない。コンピュータがつくり出した仮想世界、マトリックスが人類を支配する。人類は誕生するのではなく栽培されるらしい。マトリックスが存在する限り人類は解放されない。そこで本物の人間がマトリックスを破壊するために戦うというお話。
荒唐無稽と思えるストーリーのようだが、映画を見て感じたのは、実際にボクがいまいる場所がマトリックスやないか!ということだ。

僕たちはすでにマトリックスの世界にいる?

ボクたちは気がついているか、いないかはともかく嗜癖(依存症)で作られたシステムに暮らしている。
多くの人は意識することなく自分に触れることのなく自分の人生を放棄させてしまう嗜癖(依存症)のシステムに取込まれている。

アルコール依存症に代表されるように嗜癖(依存症)の代表的なものは、アルコール、ドラッグ、ニコチン、カフェイン、あらゆる食物などの物質。明らかな問題とされるギャンブルをはじめ、「仕事が手につかない」という表現が示すようにトラブルなどの心配ごと、あるいは家庭を顧みないという表現が示す仕事そのもの、仕事と同じく建設的と見られがちな貯蓄、スポーツ、鑑賞、セックス、さらには宗教、学習などを自分の日常にもっともふさわしい理由をつけて、自分が見るべきもの、触れるべきものから遠ざけている。

マリリン・マンソンが「ボウリング・フォー・コロンバイン」で語っているように、あらゆるメディアが人々を不安にさせ消費と狂気に誘う。ローンによる消費と狂気はふたたび不安の源になり、不安はどんどん増幅され、我を忘れて嗜癖はヒートし、消費に向かう。

不安を忘れるために好きなことをするなと言うのではない。することがあるのにそれをせずに好きだと思うことをしているのが問題であり、いまこことは場違いな欲求の大半は逃避であり、不安、恐怖からの脱走である。
自分が見るべきもの、触れるべきものから遠ざかることによって、不安、恐れを忘れる。なるほど楽なやり方だが、自分はどこに行ってしまうのだろう
『マトリックス』に登場するマトリックスの創造主はボクたちの世界に於ける神だ。人々が信じる神さえもその理念によって抑圧の主になり、不安を高め、自分の感情を認めることさえ許さず、許されなかったココロは正当な行動の機会を自らの手で奪い、歪ませることさえ起こる。自分に触れる機会のない自分の現実は枯渇していくしかない。
他者はさておいて、ボクの嗜癖のシステムを破壊しなければ、ボクは解放されない。

アルコール依存症の人が本当はアルコールが好きでないように、人々が不安を忘れるために没頭する嗜癖の対象となるものは本当には好きでないのだろう。
本当に好きな人は自分の声に耳を傾け、自分に触れているから、それをしてもしなくても気にならない。忘れるためが主目的の依存者と違う点である。

ボクはエルヴィスが好きだから、エルヴィスを聴いて自分を考え、自分に触れたいのだ。
ココロが哭いた時にエルヴィスを聴くとエルヴィスはいつでも励ましてくれる。それこそがエルヴィスの芸術の本領だ。
つらい気持ちを信じられないような優しい感触で撫でてくれる。つらい気持ちを忘れさせてくれる。
だからといってエルヴィスを聴きながらエルヴィスを考えて1時間、2時間・・・8時間と進むほどに自分に触れることは少なくなる。
心地よさのなかで嗜癖のシステムは自分と自分の人生を破壊する。それは自分とエルヴィスを侮辱することに他ならない。


エルヴィス・プレスリーと
薬物の関係はいかがなものか?
エルヴィスがドイツ駐屯時代に知り合って以来の絆で結ばれていたプリシラとの離婚成立したのが1973年10月9日。その1週間後の1973年10月15日に肺炎と胸膜炎のため入院して以来、数度の入退院があったことや、体調を崩しているのが分かる太り方や、従業員のスキャンダル本の出版にとる心労もあり、1977年8月16日、テネシー州メンフィスの自宅「グレイスランド」で心不全のために死去。その若い死とアメリカン・ドリームの華麗なキャリアのアンバランスは多くの関心を集めるのに十分だった。

大物ミュージシャンのドラッグ使用事件はキース・リチャーズ、ポール・マッカトニー、ジョン・レノン、ジミ・ヘンなどいくらでもあり、それを殊更問題視しない風潮がある。しかし、
エルヴィスの場合には殊更問題とされる風潮があるのは、エルヴィスの生前のイメージ。特に映画で見せた明るく健康的な好青年のイメージとのギャップが大きいことと、なにより存在の大きさに尽きる。

医師から与えられた薬の飲用の事実、スアキャンダル本、若すぎる死と重なって、エルヴィスの薬物疑惑はいくら説明されてもくすぶり続ける。
その実際がどうであったか、知らない。見たことがないから分からない。当たり前だ。

ジャーナリストたちの書いたものである程度判断できるが、この問題に触れる文書は曖昧なものが多い。たとえばメンフィス・マフィアの証言に対抗したと思える『エルヴィス・ミーツ・ビートルズ』はトム・パーカー大佐との共作としか考えられない内容の実に巧妙に書かれた本だ。
ジェーン・マンスフィールドエルヴィスとジョン・レノンは共に偉大であり同時に共に問題児として両者引き分け。生存者は誰が読んでも喜ぶことも怒ることもないエピソードらしいエピソードもなし。死人に口なし、生存者には触らぬ神にたたりなしという按配だ。
おどろいたことに悲劇的な事故で逝った女優ジェーン・マンスフィールドがエルヴィスと一夜を共にした後、ベッドの中で、ジェーン・マンスフィールドがエルヴィスに話かけるが、エルヴィスはあくびしながら返事をしたというエピソードが出てくる!この様子を見ていた第三者が横にいたか、鍵穴から覗いていたことになる。なんというバカバカしさ!ジェーン・マンスフィールドも気の毒だ。このエピソードも死人に口なしである。
このような嗜癖そのものの書籍がいくらエルヴィスが薬物に手を出したと言おうが、手を出さなかったと言おうが、信じることはできないのだ。

仮にエルヴィスが薬物中毒であったにしても、エルヴィスはかくも長きにわたって人々に愛されている、そのことの方が重要である。
むしろファンであってもなくても自身が嗜癖の世界に住んでいないかを心配するほうが正しいのではないだろうか。

因に中毒とは、そのことを多くするから中毒ではない。必要以上に、場違いに、そのことに注意がいってしまうのが中毒なのだ。そうすることによってありのままの自分を行動する場を失う。
それこそが中毒の目的である。つまり自分を忘れ、自分を生きないことが目的なのだ。

いずれにしろ、個人的の見解として、エルヴィスが薬物に手を出したということは本当のように思えるし、なにより少年時代のエルヴィスが将来比類なき才能を開花させることになる”歌”に、貧しさのなかで道具もいらない、お金もかからないこともあって、意識することなく救いを求めたように、構造的嗜癖の世界に自分を投げ込んでいたように思う。だからといって”薬物中毒”であったというのは信じがたい。

むしろ、エルヴィスのドラッグ疑惑について触れる時に使われる「エルヴィスは疲れていたんだ。だから薬は使用したけど、それは問題がなかったんだよ」という言い回しの方に不安が生じる。その言い回しはアルコール依存症を抱えた家庭に共通するセリフと酷似している。アルコール依存者を抱えた家族が「お父さんは疲れているんだよ。何でもないのよ。黙っていなさい。考えなくていいのよ。見なかったのよ。」と子供に語る様子に似ている。子供は自分が見ている部屋の惨状を何でもない光景として受け入れるしかなく混乱を受け入れることになる。混乱を引き起こすのは依存者たちの定番のやり方だ。
しかし愛するエルヴィスのことを悪くいいたくないのはファンなら当然の心境だ。

それにしても、ファンは胸を張ればいい。
エルヴィスに起こっていたことは、何でもないことはない。誰も経験しないような大変な混乱の状態にあったのだ。エルヴィスの身に起こった混乱もジョン・レノンのいう「エルヴィス以前にはナニもなかった」ということのひとつなのだ。

「エルヴィスはとんでもない状態で社会を怖がっていたんだよ。人は不幸に耐えられても不安には耐えられないんだよ。つまりどんなに幸福でも不安は幸福を破壊する。
不安の正体を見たら怖くはないのだが、私達が想像できないほどのあまりにも急激な変化と極端に混乱した生活はその機会を奪ってしまったんだよ。私たちはエルヴィスの不安と比べたら些細な不安でしかない。それでも私たちもエルヴィスと同じく不安から逃げ出すことを考えている。
 エルヴィスが不安を忘れて、自分のココロを見て、自分のココロの話すことを聞き、自分のココロに触れたのは歌っているときだけだったかもしれないね。歌うことによって自分を裏切らなかった。
混乱の毎日にあってエルヴィスは喜びと共に自分を苦しめた社会に対して、自分の役割を全うしたんだよ。
歌こそ最後の砦、エルヴィスはありのままの自分の存在をギリギリのところで守り社会に向かわせたんだよ。私達も不安から逃げたくなって自分を見失うようなことがあっても、混乱のなかにも冷静を失わず、自分がすることを行動したいね。」と言ってあげたい。

世界一有名なマネジャーとなったトム・パーカー大佐が常に不安をつくり出し自分がいないとどうなるかを煽り続けたと想像するのは容易だ。
黄金の声をメッキと思わせたのかも知れない。自己主張の国、アメリカで、余程善良なマネジャーでない限り、不安は絶えず創出されるだろう。

パーカー大佐の語る「不安」はマスコミの垂れ流す根拠のない予測やゴシップや宗教によって信憑性を増す。嗜癖システムの最先進国の、嗜癖システムの極みである業界で、田舎出の孤独な青年であってもなくても、一夜にして国一番の人気者になった喜びは恐怖の裏表だ。

ビートルズがアメリカに上陸した時に「おれたちはビートルズだぜ」と言わんばかりの無邪気と野心を見せた。しかしエルヴィスは誕生したばかりの”ロックンロール”への批判を沈静化させるために犬を相手に歌っても、ニューヨークでも、ロスでも「おれはエルヴィスだぜ」と言わなかったはずだ。メンフィスの田舎で取り巻き連れて闊歩した程度だろう。せいぜい嗜癖にとりつかれたトム・パーカーが「これはエルヴィスのキャラクターグッズだぜ」と銭勘定した程度だ。

わずか21歳で歴史的な成功の陰で孤独の極みに立ち、襲いかかるあらゆる不安から自分を守ろうとして、あるべき自分が見るものを見ず、聞くものを聞かず、触れるべきものに触れずに、身を守るために抑圧の宗教歌を口ずさみながら、嗜癖の海に身を沈めていくのを一体誰が責めることができるのか?

責めることができるのは唯一エルヴィス本人である。仮に薬物に手を出したにしても、死者にムチを打つな。不安から逃げるために嗜癖に身を任せた罪は自身が負ったのだから。
エルヴィスが犯した過ちはエルヴィス自らの体内の告発によって、エルヴィス自身が「有罪」と判定したのだ。

それにしても、その苦しみから誕生した歌は、どんなつまらない曲にも命を与えた。その重要こそエルヴィスの偉業であり、エルヴィス・プレスリーという人そのものなのだ。
ボクたちはエルヴィスの魂の声で歌われた楽曲を聴いたからこそ、嗜癖の底なし沼に足を踏み入れてはいけないのだ。

モノが溢れ、情報が溢れ、気持ちのいいことが溢れる世界。自分の気持ちをいい状態にするだけしても、まだ他者の”気持ちいい”が気にかかる。
気になるほどに目に見えぬ不安が高まり、高まるほどに自分に触れず、自分にとっての気持ちよくないノイズは邪魔になる。もっともっとを追い求めて嗜癖(依存症)の果ての悲惨。躾と称してわが子を殺す。
あるいは信号を守るのが損だと言わんばかりに無視していく、ゴミ箱まで歩くのが損だと言わんばかりにゴミをやみくもに捨てる、誰かがトクすることで自分が損をするのではないか思う終わりのない苛立ち。他人を押しのけずにはいられない焦り。そのどれもこれもが不安と嗜癖(依存症)の仕業による狂気なのだ。

エルヴィス・プレスリーの<ミルクカウ・ブルース・ブギ>ボクは嗜癖システムの世界に住みながら嗜癖(依存症)を憎む。アルコール依存者によって育てられたきれいな女のコの狂気はどこから来たのか?平然とした表情の向こう側で、重石のような十字架を意味も知らず、意味もなく背負ったまま、いかに苦しんでいるか。その苦しみがどのような形で自身も他者も破壊しているか。

ボクは、かってエルヴィス・プレスリーが<ミルクカウ・ブルース・ブギ>で無心に吐き捨てるように聴かせた「別れ」をあらゆる嗜癖(依存症)に向かって投げつけたい。

”新しくミキシングされたものと、昔の録音と比べて云々するのもボクには意味がない。”という、理由のひとつはそういうことである。他者がリマスターに関心あるかどうかは他者の問題である。たっぷり十分に嗜癖の泥沼に暮らしたボクはもうこれ以上嗜癖のシステムに囚われたくない。それだけだ。

リマスターに関してもっと言うなら、第2の理由は、単純にこだわっていない点にある。
ボクが最初にエルヴィスのレコード<あの娘が君なら>を廃盤セールで100円で買った時には、ジョン・レノンと同じくプレイヤーを持っていなかった。
祖母が三味線の師匠をしていたこともあり、小唄やなにやらのために使われていた蓄音機を使わせてもらった。
やはり廃盤セールで<ロカ・フラ・ベイビー>を買ったりしながら、しばらくして有名メーカーではない安価なポータブルのプレイヤーを手に入れた。
だから『ゴールデンレコード第1集』も『ガール!ガール!ガール!』もモノラル録音のものだった。ビートルズの<ミッシェル>やエルヴィスの<クライング・イン・ザ・チャペル>はそれで聴いていた。アルバイトした金を貯めて、ようやく割引率が高く価格の安かったシャープのステレオを手にしたのはずっと後だった。

でもポータブルのモノラル・プレイヤーから流れるエルヴィスに興奮した!いま以上に幸福でエキサイトだった。それがエルヴィスとの原風景でとっても満足している。
技術はどんどん進化する。もっともっとと望むと終わりはない。新しい技術はこれから来る人のためのものでいい。

第三の理由は、同じ曲でも聴く装置によって、まったく別物に聴こえる点にある。装置の高い安いに無関係に、聴こえてくる音も声も違う。装置によって好き嫌いが変わるほどだ。
これを追求しだしたら、自分に触れるべき時間は少なくなり、自分が見るものを見ることもなく、自分が聞くものも聞かず、自分は生きる屍になると危惧する。そんな状態ではエルヴィスと楽しく遊べないと思うから、そんなことはしたくない。
何が問題かではない。何をしたいのかこそが重要なのだ。
ボクは『キング・オブ・ロックンロール』と呼ばれる男が好きだから、アメリカ映画で「さあ、行くぞ」という場面で使われるフレーズ”ロックンロール!”を自分の生活の日常に使いたいのだ。もちろん人は様々だ。

エルヴィスがボクサーに扮した映画は西部劇とベルリン脱出を題材にしたディズニー映画の三本立の映画館で見た。
ガンマンよりも、ディズニーのヒーローより<
King of the whole wide world広い世界のチャンピオン>を歌っているエルヴィスが、こどもだったボクのヒーローになった。
60年代ロックンロールの傑作<
King of the whole wide world広い世界のチャンピオン>のエルヴィスは薬物疑惑や様々な嗜癖の疑惑によってはたしてボクを裏切ったのだろうか?

歴史そして映画『アラモ』を思い起こす。
アラモの砦を包囲し総攻撃をするメキシコの大軍は次々に創造される”不安”である。
自由を守るために最期まで砦から逃げ出さなかったデビー・クロケット(ジョン・ウェイン)、ジム・ボウイ(リチャード・ウィドマーク)、トラヴィス大佐(ローレンス・ハーヴェイ)の姿がエルヴィスと重なる。アラモの悲劇は民衆に
Remember the Alamoと言わしめ、大きな勇気に変えた。

Remember the Alamo , Remember Pearl Harbor ,
Remember the King・・・アメリカは忘れない。
アメリカの歴史はこのようにして悲しみを生きる勇気に変えてきた。

映画『グレイスランド』での”Remember the King”を忘れないで!それはキングを思ってくれと言ってるのではない。
”君は立ち向かえ!”ということに他ならない。

エルヴィスにまつわるあらゆるスキャンダル、ゴシップをあってもなくてもボクは愛する。エルヴィスが”真実の自分”という最後の砦を守るために嗜癖という火薬庫を自爆させながらも戦った傷跡だ。

不安と恐怖に怯えながらも、たったひとりで、誰も行けないところまで歩き、命と引換にしてまで、最後の砦『グラディス・プレスリーの子、エルヴィス・アーロン・プレスリー』を守ったことに万才を!
それこそがエルヴィスの奇跡だ。
だからこそ人々はエルヴィスを忘れられない。

最後まで自分を信じたエルヴィスの真実は歌に宿る。その歌声こそ誰にも搾取されることなく、嗜癖に破壊させずに、エルヴィスが守り抜いた自分自身である。
守り抜かれた真実のエルヴィスがいまも世界の多くの人々の心をそっといたわり慰め、勇気を与え続ける。誰がどう語ろうが誰もエルヴィスを傷つけることはできない。

・・・<King of the whole wide world広い世界のチャンピオン>のビートはいまも止まらない。
世界は嗜癖に満ちている。なにもいらないといえるものこそ”この広い世界のチャンピオンなのさ”。
エルヴィスを聴いたら、エルヴィスを考えない。自分を考えて自分に触れる。
<Home Is Where The Heart Is/愛が住み家>・・・・・この声を本気で聴けば”ザイオン”が見える。

Remember the King!
マトリックスに向かって”ロックンロール!”

この文章は『会話してくれる歌』を補足する性質のものであって、特定の個人のご意見・コメントに呼応したものではなく、あくまで従来からの個人的な考えによるものです。他者のご意見を否定も肯定もするものではありません。

エルヴィス・プレスリーの「広い世界のチャンピオン」

<広い世界のチャンピオン>

貧乏な男は貝を欲しがり
金持ちの男は真珠を欲しがる
でもたとえ一文無しでも
明るく歌えるヤツこそ
この広い世界のチャンピオンなのさ

*さあ歌おうぜ
みんなで歌おうよ
だってたとえ一文無しでも
明るく歌えるヤツこそ
この広い世界のチャンピオンなのさ

金持ちの男はお姫さまを欲しがり
貧乏な男は普通の女の子を欲しがる
でもたとえ一文無しでも明るく歌えるヤツこそ
この広い世界のチャンピオンなのさ

*2回くり返し

貧乏な男は金持ちにあこがれ
金持ちの男は王様を夢見る
でもたとえ一文無しでも明るく歌えるヤツこそ
この広い世界のチャンピオンなのさ

*2回くり返し

この広い世界のチャンピオン
この広い世界のチャンピオン


A poor man wants the oyster
A rich man wants the pearl
But the man who can slng
When he hasn't got a thing
He's the king of the whole wide world

* Come on and sing
Sing brother sing
'Cause the man who can sing
When he hasn't got a thing
He's the king of the whole wide world

A rich man wants a princess
A poor man just wants a girl
But the man who can sing
When he hasn't got a thing
He's the king of the whole wide world

* Repeat 2 times

A poor man wants to be a rich man
A rich man wants to be a king
But the man who can sing
When he hasn't got a thing
He's the king of the whole wide world

* Repeat 2 times

Of the whole wide world Of the whole wide world

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