
衝動。エルヴィス・プレスリー。
ビートルズ。そして・・・・
のっぽになりたかったロッカーたち。
初期衝動のまま疾走して成功した人は世に少ないのですが、逆に成功した人の共通条件として、初期衝動は不可欠。
初期衝動で大成功した20世紀の人物としてマイクロソフトのビル・ゲイツは有名の筆頭格。
そんな超大物をひきあいに出さなくても、隣の成功者を見ても初期衝動を成功に結び付けています。
ポップ・ミュージックの世界ではエルヴィス・プレスリーもビートルズも初期衝動によって大成功をおさめただけでなく、永遠にその名を歴史に刻んだ比類なき存在です。
エルヴィス・プレスリーとビートルズは「ロック」という世界にそびえ立ち、人気が拮抗していたことでライバルとして比較されました。
<のっぽのサリー>はリトル・リチャードがロック黎明期に発表したナンバーです。エルヴィス・プレスリーは1956年に『エルヴィス・プレスリー登場!』で正式に発表しています。一方ビートルズは1965年のアルバム『THE
BEATLES FOR SALE』で発表しました。
ライバル扱いもいろいろありますが、エルヴィスとビートルズの<のっぽのサリー>はまったく違うサウンドに仕上がっていますが、そういった比較ではなく、両者の周辺の空気を比較していたような気がします。
それによって多くの人が傷つけられました。
だって自分が大事にしているものを、「おまえのはつまらない」なんてやられるのですから、傷つきます。
人格が否定されるように感じたかたも多かったでしょうね。
僕は両方好きで、両方を聴いてきましたが、断然エルヴィスの比重が高かった。
どんな心理状態の時であってもエルヴィスは沁みたからです。
でもそれは人それぞれ、どちらが沁みるかは彼等の問題だけでなく、聴いている側の育って来た環境や人生観、性質、好みが大きく関与しているわけです。
エルヴィスはビートルズの国、イギリスでビートルズ以上にナンバー1ヒッツと発表していますが、イギリス人に響くサムシングがエルヴィスにあったということになります。
その点なぜか評価の低い日本では、エルヴィスのR&Bフィーリング豊かなブラッキーな歌声は、なじめないサウンドだったのかも知れません。あるいはアメリカ人好みのポップな映画のイメージ先行で勝手な決めつけをしてしまっているのかも知れません。
でも、ボクにしたら、そんなことは、どうでもいい範疇のことです。
重要なことがひとつ。
彼等が好きなことを猛烈に夢中でやってきたということ。
人はなんであれ、自分のやりたいことを夢中で行動するのが大切です。
どんなささやかなことであっても同じ。
年令とか、性別、国籍そんなもの関係ない。
起業するのも、恋愛するのも、みんな同じ。
初期衝動のまま疾走することが重要。
初期衝動を抑え込んではいけない。
本を書きたいと思ったら、すぐに書けばいい。
どんなふうに書けばいいのかというような疑問は、書きながら考えればいいことで、考えてから書くようなことしていたら、どんどん初期衝動はしぼんでしまう。
エルヴィスが1954年にサンレコードの扉を開かなかったら、いまのようなロックンロールは生まれていなかったでしょう。パフォーマーになりたいと思った衝動を実行したことが、こんにちのロックンロールになった。
エルヴィスがいなくても、いつかロックンロールは広まっただろうけど、こんな風になっていなかっただろうと思います。
ときにロックンロールは黒人のものだということを言う人がいますが、それは間違い。リトル・リチャードやチャック・ベリーなどもいましたが、彼等のサウンドも、白人音楽の影響を受けて、彼らのスタイルになっています。
黒人の音楽というのなら、ロックンロールはアフリカから持って来たのかということになります。
ブルースも同じく、ミックスされたものです。
音楽は人種や文化、宗教の垣根を越えて心の琴線に触れた旋律やリズムが、垣根を越えて継承されて行くのです。
そういうことより、パフォーマーにそれがやりたい、歌いたい、演奏したい、抑え切れない衝動があるかどうかの方が重要です。
衝動なんてないけれど、お金のためにやるような音楽こそ、表現者のやるべきものでないと批判されるものです。
どうしてもやってみたいと思うなら白人が黒人の音楽を、黒人が白人の音楽をやったって問題なんかない。
黒人と白人が同じバスに乗ることを禁じられた時代に、チャック・ベリーが水玉のスカートの同級生を歌にしたって、彼の現実の暮らしにそんな世界はありえない。本気で憧れることが許される状況でなかった。でも彼はそれを歌いたかった。本気で描けなかった夢を本気で歌った。それでいいのです。
エルヴィスが、幼い時から黒人世界に触れながら暮らしのなかで身についたものを自然体で歌ったら、黒人と間違われた。それでいいのです。それが個性というもんですよね。
みんな自分を本気でぶつけているから支持されたのです。
エルヴィスは白人の保守層から叩き潰されそうになりながらも、衝動を貫いて、瑞々しい天性と努力、摩擦する熱気で多くの人の心をわしづかみにしました。
ジョン・レノン、キース・リチャーズ、ボブ・ディラン、ブルース・スプリングスティーン、ジャニス・ジョプリン・・・挙げたらキリがない。多くの白人がエルヴィスのようになりたい衝動そのままに、エルヴィスに導かれるままに続きました。すごいことですよね。
アメリカで「ザ・キング」と言ったら、エルヴィスしかいませんが、多くの人々に影響を与えたエルヴィスは「ザ・キング・オブ・ロックンロール」と称えられるようになりました。
それがロックンロールなのです。衝動のないロックンロールなんてロックンロールじゃない。ただ音を大きくして、ガンガン歌うだけのものをロックと呼んではいけないのです。
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衝動のまま、貫くというのは、とっても困難なことです。
衝動なんて続かないですよ。
ビートルズが偉大なのは、衝動が衝動でなくなりかけた時に、ベトナム戦争とかを背景にして、ボブ・ディランやビーチ・ボーイズに触発され、あらたな衝動に任せて、突き進んだことです。
それにしても、もしあの時代に、ボブ・ディランやビーチ・ボーイズがいなかったら、おそらくビートルズの遺したものはもっと違ったものになっていたでしょう。
ビーチ・ボーイズの『ペット・サウンズ』なしに『サージェント・ロンリー・ハーツ・クラブ』は誕生していない。またビートルズがいなかったら、ビーチ・ボーイズの『ペット・サウンズ』も生まれていなかったでしょう。
そしてエルヴィスがいなかったら、ビートルズもローリング・ストーンズもいなかったでしょう。
逆にビートルズがいなかったら、ジャンプスーツのエルヴィスが存在しなかったかも知れません。
チャック・ベリーがいたって、ビーチ・ボーイズはいなかったでしょう。
だから黒人や白人と分類することは空虚です。エルヴィスとビートルズを対立軸で考えるのは空虚です。
僕たちは、多くの人々から影響受けて、「あんなふうになりたいな」「あの人のように暮らしたいな」「彼女と暮らしたいな」と衝動が突き上げて来ます。
でも、どういうわけか、抑え込むことにも慣れています。
「日本人は買い物が趣味」・・・世界中の共通した認識はありがたくない烙印ですが、伝統と現代を断ち切り、モノと心のカオスで目隠し、代替品を見つけてきては、一時的満足にすりかえる才能は世界一かも知れません。
その理由がなんであれ、もっと自分の内側で起こっている衝動を大切にしたいものです。
僕は打ち込みくそくらえ主義のエルヴィスを、時にビートルズとエルヴィスのようにのっぽになりたかったロッカーたちを聴くことで、どこかに落としてしまった「衝動」を探しています。
きっといまもどこかで、ピクピク動いているはずです。
エルヴィスの幻が主人公のヒーローとして登場する映画『トゥルー・ロマンス』は、失った衝動を探せと励ましてくれる映画です。
次回は、『トゥルー・ロマンス』のとてつもなく素晴らしいメッセージについて語りたいと思います。

エルヴィス
1.陽気に行こうぜ
2.ラブ・ミー
3.ブルー・ムーンがまた輝けば
4.のっぽのサリー
5.ファースト・イン・ライン
6.悩まされて
7.恋がかなった
8.オールド・シェップ
9.レディ・テディ
10.どこでも天国
11.浮世の仕打ち
12.こんな気持がわかるかい
ビートルズ・フォー・セール
1.ノー・リプライ
2.アイム・ア・ルーザー
3.ベイビーズ・イン・ブラック
4.ロック・アンド・ロール・ミュージック
5.アイル・フォロー・ザ・サン
6.ミスター・ムーンライト
7.メドレー:a.カンサス・シティ~b.ヘイ・ヘイ・ヘイ・ヘイ
8.エイト・デイズ・ア・ウィーク
9.ワーズ・オブ・ラヴ
10.ハニー・ドント
11.エヴリー・リトル・シング
12.パーティーはそのままに
13.ホワット・ユー・アー・ドゥーイング
14.みんないい娘
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