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(THERE'LL BE) PEACE IN THE VALLEY (FOR ME)
谷間の静けさ
〜エルヴィス・プレスリーの謎〜

エルヴィス・プレスリーの人生を決定づけた楽曲だ。
1957年トム・パーカー大佐は人気の高いTV番組『エド・サリバン・ショー』でゴスペルを歌わせることで、批判的な世論が多い、過激なロックローラー、エルヴィスのイメージアップ戦術に出た。
思惑通りの成功を獲得する。それは事実上ロックンローラー、エルヴィスの終わりとなった。
その復活は血へどが出るような『1968年12月NBC/TV スペシャル』のパフォーマンスまで待たなければならないことになる。

<谷間の静けさ>

おお、私は身も心も疲れ果てています
けれども、なお歩みつづけなければなりません
主なる神が私を呼びに来て下さるまでは
主が、私を呼び出して下さるまでは
おお、朝はまばゆく輝き
小羊なるキリストは世の光です
夜はまるで深い海のごとく
黒々と広がっています

(天国の谷間にはやがてそこへ行く私のために平和が待っていることでしょう)

天国の谷間には私のために
平和が待っていることでしょうおお主よ私は祈ります

(そこには悲しみも不幸も苦しみもありません。今の私の苦しみはありません)

天国の谷間には私のために
平和が待っていることでしょう
熊は従順になり
おおかみは服従し
ライオンは羊のかたわらに
寝そべっています
野の獣たちは
主なる御子に導かれます
私の身も今の自分とはまったく違う姿に
生まれ変わることでしょう

エルヴィスの功罪を整理してみよう。

「かれは素晴らしい歌手だよ。ほんとに。彼はとても素晴らしい。
どれだけ素晴らしいかみんなわかっていないんだ。本当には。わかっていないさ。
みんな全然理解していないんだ。ーーー絶対に無理だね。
どうして彼がそんなに素晴らしいかなんてわからないよ。でも、彼は素晴らしいんだ。」
名曲<BE MY BABY>等をプロデュースしたフィル・スペクターの言葉だ。

フィル・スペクターが語っているように、それはホントに素晴らしいのだ。その素晴らしさをこの地球に生存する数えられないほど多くのファンをも含めて一体どれだけが知っているか、フィル・スペクターの言ってる素晴らしさはファンをもってしても知らない素晴らしさを言ってるような気がする。われわれはエルヴィスの凄さの断片しか知ることしかできないままなのだろう。それほど素晴らしいのだ。フィル・スペクターが1969年に語っている素晴らしさとは歌がとてもうまいというようなことではない。それも含めて存在が素晴らしいということだろう。1969年の素晴らしい存在。それは何だったのか?ピエロは考え続けている。

一方、批判的な意見はなにか?ひとことに集約すればボブ・ディランらに代表される「生への活気のなさ」という類いのものーーーもてる才能を十分に発揮しなかったという意見だ。ーーーーその活動の大半が自分のパロディに費やされたことは「ピエロ的エルヴィス考」でも記述した通りだが、結論から言うとエルヴィスのおかれた状況からすれば、エルヴィスの選択肢はなかったようにしか思えない。(「ピエロ的エルヴィス考」は完結しているわけではなく、いまも「エルヴィスの謎」を考えている)

エルヴィスの運命を決定づけた出来事は「9年間の映画契約」「最後のエド・サリバン・ショー〜兵役」「離婚」などがある。これらのことで一番話題になる機会が多いのは「離婚」だが、実際は影響が少ない。「最後のエド・サリバン・ショー〜兵役」が決定的なインパクトでエルヴィスを変えたはずだ。つまりアメリカ白人社会の高い場所に堂々と受け入れられたことによる達成感。
「谷間の静けさ」を歌った、すぐ後にエド・サリバンから賞賛される。この瞬間にエルヴィスの全人生は変わった。エルヴィスを語る上で象徴的な事件だった。
皮肉なことに、神の仕業かと思う程に皮肉なタイトル<谷間の静けさ/PEACE IN THE VALLEY

【谷間】相反するふたつのもの、エルヴィス支持と激しい批判
【静けさ(平和)】解決、安堵、サリバンによってもたらされた<安堵>とその後の<安定>

エルヴィスは一気に個人的には安堵、公的には安定を得る。しかし安堵は停滞でもあり、安定も衰退に向かう停滞だ。

さて多くの人が「謎」と思っているのは、なぜあれだけの「富と栄光」を獲得できた人が、いくら映画契約があったところで、自己主張できたはずではないか?それをしなかったのは怠慢でなかったのかという思い。それをしないのは人として弱すぎる、無気力すぎないか、という批判だ。

エルヴィスの状況を考えれば、それしか選択肢がなかった。
くり返すが「最後のエド・サリバン・ショー〜兵役」で、エルヴィスにはすでに戦って獲得するべきものはなくなっていた。
もちろんエルヴィスはすべての面で才能を発揮したかっただろう。あれだけの才能のある人が、それを分かっていなかったはずがない。

エルヴィスが望んだ個人を認める自由なアメリカ白人社会は嗜癖する欲望に満ちた社会でもあり、ハリウッド、レコード会社はその典型的な場所でもある。エルヴィスにとって自分の大きな望みを達成させることは、例えエルヴィスが望んでいなかったにしろ「嗜癖する欲望に満ちた社会の一員」になることであり、そして取り込まれた。
その社会の空気は嗜癖の匂いが充満していたプレスリー家とは格差こそあれ、馴染みのあるものだった。
エルヴィスには決して住み心地のいい場所ではなかった。しかし住み心地のいい場所に住めないというのもエルヴィスにはもっとも親しみのある感情だった。

いまから思うに<ブルー・ハワイ>はヒットしてはいけなかった映画だ。そして<歌の贈りもの>は販売してはいけなかったものだ。嗜癖する欲望に満ちた世界ではすべては順調だった。「ファンが殺した」というファンの目はここに注がれるべきだ。この地球の多くの人が嗜癖の社会で暮らしていることをゴールドレコードの数が語っている。

人の欠点がよい特長になることは多い。エルヴィスの音楽の最良はエルヴィスのパーソナリティの最悪から生み出されたものだ。多くの人を癒す力は、その内省的なパーソナリティゆえにもちえた力であって、それだけ痛みの大きいものだ。痛みに打ち勝てば、エルヴィスの空虚はなく、空虚に住みついた者、たとえば煩悩に身を焦がすピエロは行き場をなくす。そしてエルヴィス・アーロン・プレスリーは健全な人生をまっとうしただろう。

しかし痛みに打ち勝つ環境がエルヴィスに用意されることはなかった。エルヴィスは精神的に脆かったという意見もあるが、客観的にみてまず他の生き方に踏み込むことは不可能だっただろう。第三者が時間の経過があってふりかえって語ることは簡単だ。しかし、いま川のながれの最中にある時に、一体ナニができるだろう?
救えるのが、エルヴィス本人と家族と近隣の人々に限定されるような生き方はエルヴィスにはなかった。エルヴィスは自らの空虚を数えきれない空虚で満たし、それらと共に歩まねばならなかったのだ。
それを推進したのがーーーーゴスペル!

「ゴスペル」ーーーーエルヴィスの原点だ。
ゴスペルは正しき者の音楽、そこから追放されし悪魔の音楽がブルースだ。
エルヴィスは同時期のジェリー・リー・ルイスやエルヴィス以降の出現した多くのアーティストなどと比べても断然クレバーで挑戦的だった。
そんなエルヴィスの「停滞を可能にした」は何だったのか?ピエロはファンの非難を覚悟で断言する。
ゴスペルがエルヴィスを救い、護り、育て、ゴスペルがエルヴィスを苦しめ、追い込んだ。
ゴスペルこそ天使と悪魔の隠れ家だったのではないのか。

エルヴィスにとってゴスペルは教えでなく、音楽だったはずだ。「ママ、僕は神を心から敬ってるよ。でも、それって僕にとっては音楽なんだ。音楽と神とは切り離せないものなんだよ。」
この言葉はそれを意味している。

エルヴィスは科学者でもなければ心理学者でもない、好きは好きだけだ。しかし英語で歌われるゴスペルは歌詞こそ精神だ。口ずさめば口ずさむほど、音楽以上にその歌詞は精神となり、環境に順応していく。「私は神の力を信じています(I BELIEVE IN THE IN THE SKY)」「なお歩き続ける勇気をくれるのは誰(SOMEBODY BIGGER THAN YOU I DO)」「いかに天国を勝ち取ったかを語る日がいつかくる(BY AND BY)」ーーーーーー「いつかきっと」「神が見ていてくださる」
そう、ここには自分を慰める精神はあっても、大半が依存的であり、自らを引き受けて責任を全うし勝ち取っていこうする姿勢に乏しい。一時的な救済に満ちた世界。
いまもって紛争が絶えない国土なき国民、ユダヤ民族の悲劇は「ユダヤ教」の教えにある。この流民の歴史は一体いかほどの歳月か。
私には約束の地に天の主が住んでいる。だって私にはあちら側に家がある(SWING DOWN,SWEET CHARIOT )」

16世紀後半、英国国教会の宗教的圧迫に反対し、また同時に、社会の腐敗堕落を嘆いて、プロテスタントの精神を徹底させ、教会や社会を清浄にしようと図った人々がピューリタン(清教徒)(Puritan)だ。1602年に独立教会を創立したが、英国国教会から迫害されたので、信教の自由を求め、一部はオランダに逃げ、メイフラワー号に乗ってアメリカ大陸に渡った。いわゆるピルグリム・ファーザーズ(Pilgrim Fathers)とよばれる人たちだ。彼らはあらゆる辛苦に耐え、開拓を行い、アメリカ合衆国建国の基礎を作った。
1775年4月に英国との間で独立戦争が勃発するが、そのおよそ30年前に起こったのが清教徒の信仰復興運動である。運動によって南部の白人から奴隷である黒人に信仰が伝導された。それが黒人たちの宗教になり、ゴスペルの基礎となっていく。ゴスペルもブルースもアフリカに由来するのではなく、南部の教会に由来することになる。宗教戦争が語るように、宗教は権力と結びつくことが多い。権力の及ばぬところで行われる信仰は邪教になり、密教になる。
黒人たちの間で広がった宗教は、白人による抑圧を効率的にするためのものと考えるのが妥当である。
耐えること、それが必ず幸福につながる、やがていつの日か。

ゴスペルににじむ無垢、やさしさ、悲しみを乗り越えようとする明るさは、いまこの瞬間も胸を打つ、しかしそれは「嗜癖する社会」にとっては格好の餌食だった。
「いつかきっと」「そうだよ、いつかきっとよくなるさ、だからエルヴィス、ガッポリ儲けさせてくれ。」エルヴィスはゴスペルを口ずさみながら、責任を果たそうとした。なぜか?エド・サリバンに代表されるアメリカの良識に認められたエルヴィスは「アメリカの好青年」として義務を全うしょうとした。
それは母グラディスが「エルヴィス、母さんは頭が痛いんだよ。いい子にしていておくれ」と同じメッセージだ。ーーーーひとり淋しく黒人教会の音楽に耳を傾ける少年エルヴィスが浮かぶ。ーーーー耐えていればきっと報われる、信じることが正しいのだという教えが荘重なメロディあるいは力強いリズムに乗って響いて来る。

エルヴィスはゴスペルに救いを求めた。無力感を脱するためにゴスペルを嗜癖し、高揚させ、カメラの前に立ち、やっつけ仕事をくり返し無気力になり、無力感が増幅する。たとえそれが一時的な高揚であったにしろ、ゴスペルで慰める。そしてまた活気のない脚本を読む。あるいは痛みをこらえてステージに立つ。自分の任務を全うするために。
エルヴィスは考える。そう、いつかきっとよくなるのだから。
他の選択をしなかったのは、子供時代からの慣れ親しんだ儀式だからだ。「そうさ、きっとよくなる。だってエルヴィス・プレスリーになったじゃないか。」と自分に語りかけながら、「されど、われ未来を支配し給う方が誰やを知る。これぞ神のみに知られたる秘密なり(KNOWN ONLY TO HIMI)」と口ずさむ。

エルヴィスはゴスペルを歌う。<はるか彼方(FARTHER ALONG)>を見る。
邪悪な暮らしを続けている人がなぜ栄えているのか?いずれ分かる時がくる。だから元気を出して、明るい気持ちで生きよう。いつか私たちにもきっと分かる日がくるのです(FARTHER ALONG)」
終わりの時が迫っているのがぼくには分かる、これで詐欺師とはおさらばだ(YOU BETTER RUN)」

たとえそれが20才の無鉄砲であったにしろ、<ミルクカウ・ブルース・ブギ>はゴスペル<夕べの祈り>の対極にある。一日の労働が終わり、祈りをしているような調子で始まるこの歌は、突然スコティ・ムーアに「調子が出ないな、ノリノリで行こうぜ」と声をかけてから、「オレはもう出て行くぜ、おまえは冷たい女さ、きっと後悔するぜ」って腹の底の底まで吐き出すように、きっぱりと「神にも、愛する女にも、自分を引き受けてくれとは頼まずに自分を自分で引き受けている。」完璧なまでにきっぱりと。

エルヴィスはゴスペルから追放されたブルースを歌ったのではない。ブルースを脱出したのだ。ゴスペルのように耐えることでも、ブルースのように耐えることを放棄することでもなく、戦うことを選んだのだ。それが新しい選択を意味する音楽、ロックンロールだった。

苛酷な宿命をだれが引き受けることができるのか?
多くの人はその生後数年で、無力な幼いこころにもかかわらず引き受けることがあることを知らさせる。それを引き受けられそうにないと思った時に自分を責める。そして無用な必要もない十字架を背負ってしまう。
1個のパンを盗んだために生涯迫害され続ける『レ・ミレザブル』の物語りのようにである。

7才のエルヴィスは母グラディスに「何も心配することないよ。大きくなったら立派な家を買って、八百屋の借金は全部払い、キャディラックを2台買ってあげる。」とつぶやいた。
「悲しそうで、内気な子」という小学校の同級生の証言。
わずか7才の子供が一家の大黒柱になろうとしたのだ。それを果たせない無力な自分を責め、自分への自信を失ったのだ。無力感がエルヴィスを日々傷めつけていたのだ。未来が閉ざされていくなかで、ゴスペルが慰める。はたしてエルヴィスに子供時代はあったのだろうか?
自分を引き受けることができないまま、周りを引き受けてしまった者の痛みが聴こえてくる。
だけどエルヴィスはその人生の始まりから最後まで「痛い」と言わなかった人だろう。

<WHERE NO ONE STANDS ALONE/誰もひとりでは立てない所>
ある時私は夜の闇に立っていた。頭を低くたれて立っていた。それは考えられないほどの暗闇だった。
すると心に孤独を覚えて私は叫んだ。おお、主よ、私から御顔を隠さないでください。
たとえ王様のように立派な家に住んでも。自分自身の莫大な富を所有して暮らしたにしても
この広い広い世の中に孤独ほど苦しいものを、ただひとつだに私は知らない。
ずっとこの先、いつもどんな時も、ここから天国に至るまで、主よ 私の手をとってください。
私の手をとり 誰もひとりでは立たなくてもいい場所に 連れていってください。
私の手をとり 誰もひとりでは立たなくてもいい場所に 連れていってください。

「どれだけ素晴らしいかみんなわかっていないんだ。本当には。わかっていないさ。
みんな全然理解していないんだ。ーーー絶対に無理だね。」
フィル・スペクターが何を素晴らしいと感じたのか、それは知らない。しかしエルヴィスはやはり素晴らしいのだ。どれだけ素晴らしいかみんなわかっていないんだ。本当には。わかっていないのだ。


われわれはエルヴィスの心の空虚の中に住んだのだ。本当のグレイスランドはエルヴィスの空虚に建っている。万国旗が並んでいる。あたたかくやさしく居心地がよくて家賃を滞納したまま、いまもまだ住んでいる。
いくらかのレコード、CDや映画で利子は払っているものの、大家は熱狂的な女性ファン以外には我慢できない靴下の臭いを気にしなかったような曖昧さで催促もしない。それどころか「よく来たね」と笑顔で声をかけてくれる。

自分を誰かに任せるのではなく、「自分で自分を引き受ける」ことがエルヴィスを受け継ぐ者のつとめなのだろう。
そのことの大切さを<ミステリー・トレイン>から、<ハレム万才><フランキー&ジョニー>から、<TVスペシャル1968>から、<偉大なるかな神>からも探すことができる。どこにも星がつまっている。どんなふうに道を歩くべきなのか、誰もひとりでは立てない所についに立ち続けたキングはその声で、楽曲で、示唆している。

グレイスランドで未払いだったことに気がついた。
ピエロは<谷間の静けさ>を聴きながら、家賃の支払い方を考えている。

(THERE'LL BE) PEACE IN THE VALLEY (FOR ME)

Well, I'm tired and so weary
But I meet ge along
Till the Lord comes and calls
Calls me away, eh yet
Well, the morm it se bright
And the lamb in the light
And the night, night in en black
As the sea, oh yen
(There mill he pence in the valley Pen me someday)
There will he peace in the valley
For me, 0 Lard pray
(There will be vs sadness, as sorrow Na trouble, trouble I see)
There will be peace in the valley
For me
Well, the bear will be gentle
And the wolves will be tame
And the lion shall lay down
By the lamb, oh yes
And the beasts from the vvild
Shall be led by a Child
And III be changed
Changed from this creature that I air
Oh, yes

Repeat

For me

訳詞は『ピース・イン・ザ・ヴァリー〜コンプリート・ゴスペル・コレクション(BVCM-37171〜3)』より引用

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