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BOSA NOVA BABY
ボサ・ノヴァ・ベビー

エルヴィス・プレスリー13作目の劇映画『アカプルコの海』公開に先立ってサウンドトラックからシングル・リリースされたのが<ボサ・ノヴァ・ベイビー>。エルヴィスの楽曲ではお馴染みのジェリー・リーバーとマイク・ストーラーの強力コンビの作品だ。
陽気なアメリカン・ムービーの典型的な作品が健在した時代にふさわしく快調なノリが魅力のこの曲。白いジャケットに、黒いタイと黒のパンツで歌う姿はロッカーここにありの強烈さだ。歯切れのいい歌は後年の<恋のトラブル>を連想させる。

ボサノバブームでもあったこの年、ヒットチャートを飾っていたのはポップな作品群だった。
九ちゃんの<スキヤキ>、12才のスティーヴィー・ワンダーのデビュー曲<フィンガーティップス第2番><ヘイ・ポーラ><ブルー・ヴェルベット><シュガー・シャック><ドミニク><アイ・ウィル・フォロー・ヒム><涙のバースデー・パーティ><サーフ・シティ><恋はボサノバ>などがビルボード・ヒットチャート第1位に輝いていた。


この映画『アカプルコの海』と同時期に当時のハリウッド若手総出演の映画『パームスプリングスの週末』が公開されている。パームスプリングスはアメリカ有数の別荘地だった。エルヴィスも所有していたし、マリリン・モンローをはじめハリウッドのスターの多くが息抜の場にしていた。主演のトロイ・ドナヒューが主題歌<恋のパームスプリングス/Live Young>をヒットさせ、<アカプルコの海>と日本のヒットチャートで競い合っている。ノビノビとした曲はそのタイトルのままだ。<ヤングワン>のクリフ・リチャードや、ビーチ・ボーイズ、ジャンとディーンらサーフィン・ミュージックも太陽をいっぱいに浴びていた時代だった。


映画『アカプルコの海』が全米で公開されたのは、1963年11月27日だった。11月12日、ケネディ大統領がシカゴにて暗殺されてから、わずか5日後だった。

またこの年はベティ・フリーダンの『フェミニン・ミステーク』が発表され、女性が社会的に覚醒、「女性の人生はこれでいいのか」と自らに語り始めた年でもある。56年にエルヴィスがロックンロールの爆弾を投げ込んだことで女性たちが精神的解放へ歩み続けた後のムーヴェントだった。キング牧師の公民権運動のデモ行進にも白人女性たちが参加し始めた年でもあった。

56年からの「アメリカ文化革命」の旗手だったエルヴィスに変わってマリワナ、LSDをシンボルとした「アメリカ文化革命」の第2幕が始まりつつあった。カウンター・カルチャーとしてロックンロールは徐々に『ロック』に変化しはじめていたのだ。

『アカプルコの海』全米公開の翌1964年に東京オリンピック開催。同年ビートルズがアメリカを席巻する。すでに62年にヨーロッパでは人気を獲得していたが、アメリカでの評価は低く、アメリカで本格的に販売されたのは64年だった。64年にはエルヴィスの<青春カーニバル>はアルバム・チャート第1位になっている。映画は『ラスベガス万才』『キッスン・カズン』『青春カーニバル』に出演。長寿シリーズの代表作『007ロシアより愛をこめて』が公開された年でもある。

ミュージック・シーンが実際に激変するのは1965年<明日なき世界>が発表され、チャートトップになったあたりからだ。続いてトップになったのがボブ・ディランの<ライク・ア・ローリングストーン>ビートルズらイギリス勢ともまったく違うサウンドだった。歌詞が重要になりビートルズも触発され変質した。ローリング・ストーンズはブルースに邁進した。ヒッピーの風が吹き込んだサウンドは明らかに音楽を変化させた。1965年、エルヴィスは『ハレム万才』『フランキー&ジョニー』などコスチューム映画に出演しながら風が通るのを見ていた。
そしてこの時日本は、1970年に大阪万国博が開催されるまでまだ5年、待たなければならなかった。アメリカの長く熱いトンネルの時代に入った頃、日本は高度成長期の真只中にあった。

それにしてもメキシコの光をいっぱいに浴びた『アカプルコの海』でのエルヴィスは健在で、特に日本のファンはこの時期のエルヴィス大好き層だ。ロカビリーのエルヴィスでも、ジャンプスーツのエルヴィスでもなく、<ロカ・フラ・ベビー><心の届かぬラヴ・レター><ボサ・ノヴァ・ベビー><好きだよ、ベビー>の軽快な身のこなしはロカビリー・エルヴィスの洗練バージョンだ。多分それは『無条件幸福』なのだ。歌の中味が何であれ、ヒットチャートのランキングがどうであれ関係ない。社会へのメッセージなんて関係ない。しかしこれだけ多くの人を幸福にしてくれる楽曲、パフォーマンスはそれだけで十分優れた社会性のあるものだ。エルヴィスのように動きたかった人がたくさんいたはずだ。多分オルガンの代わりにミシンをなぞっていた少年やニキビ顔のワルガキも多いはず。
もしかしたら日本人なら月光仮面はエルヴィスだったと思っている人もいるかも知れない?!

白いジャケットのエルヴィスがカッコよかった時代。アロハシャツのエルヴィスがヒーローだった時代。指を鳴らしながら笑っていたエルヴィスにのめり込んでいられた時代、エルヴィスが一番愛された時代はアメリカも日本も陽射しを浴びて輝いていた。
エルヴィスが楽しかった時代。ビートルズが楽しかった時代。グレイトフル・デッドが楽しかった時代。いつだってロックンロールは楽しかった。ロックよりもロックンロールは間違いなく楽しかった。

「ロールはどこに行ったんだ。」キース・リチャーズ

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