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ラスベガス万才
VIVA LASVEGAS

1964年5月1日に日本でロードショウ公開された映画『ラスベガス万才』もいまでは完全にクラシックである。なによりラスベガスの光景が様変わりしている。撮影当時のラスベガスは「賭博の街」の印象が強く、いまのようなカジュアルウェアで闊歩するような街でもなく、子供連れで遊ぶ街でもなかった。現在の中心地は当時は存在していなくて、映画のロケに使用された「ダウンタウン」も衰退を余儀無くされている。

しかし黙って衰退するわけにもいかない。かっての栄誉をいま一度と「ダウンタウン」に客を呼び戻すためにフリーモント・ストリートに鳴りもの入りで作ったのが全長50mのアーケードだ。200万個のライトと200のスピーカーで構成されるアーケードの天井では毎夜、光と音のスペクタルショーが展開される。
光と音で描かれるばく進する牛の大軍やカウボーイなど様々なドギマギ、シナトラやサミー・デイビス.Jrの歌声で発散される官能、そして勿論<VIVA LAS VEGAS!>絢爛豪華な200万個の光と音の洪水にふさわしいエルヴィスの声によるアメリカの大はしゃぎーーーー大音響と数えきれない虹のパレードを見上げて歌い踊る人々ーーーー若い女性の目の輝きーーーーこの歌がしっかり人々のココロに腰を降ろしたスタンダード・ナンバーになっていることを感じるこの世の光景だ。この曲がロックナンバーの名曲であるかどうか?名曲としてとりあげられたことを見聞した機会はない。しかし『ハネムーン・イン・ラスベガス』『ビバ・ロックベガス』などの映画が証明するように、アメリカ人が愛してやまないグレートなグレートな愛唱歌であることだけは間違いない。なによりもーーーー口ずさみながらリズムを取る人々の目の輝きーーーこそが証明している。そしてVIVAという単語が日本人にとって親しい単語になったのもこの映画と歌の威力だと信して疑わない。(異論があれば聞きたいものだ。)

そして映画『ラスベガス万才』と主題歌<VIVA LASVEGAS>こそがラスベガスをエルヴィス・プレスリーのコンサートの拠点にしたといっても過言ではないだろう。
『ELVIS ON STAGE』に記録されている70年代コンサートを行っていたヒルトン・ホテルにはエルヴィスのブロンズ像が展示され、ヒルトン・ホテル社長の感謝の言葉が添えられている。エルヴィスにはその貢献へのお礼として世界に点在するヒルトン・ホテルに無料で宿泊できる特別な資格を与えられていた。
またC&Wの歌と踊りのショーを行っている人気の高いレストランにはエルヴィスの写真やゆかりの物が数多く展示されている。ラスベガスにはいまもエルヴィスの想い出がネオンに負けずに星のように輝いてる。

それにしてもエルヴィスとラスベガスは似合うかといえば少し釣り合わない。もともと酒もギャンブルもしない素朴なはずのエルヴィスにはテキサスやコロラドなどの方が似合いそうだ。そんなことを考えながらこの快調な<VIVA LASVEGAS>を聴いていて浮かんで来た言葉がある。
サン・レコードでのはじまり、お馴染みの名セリフ、「ボクは誰にも似ていません」だ。
「ボクは誰にも似ていません」と言いながら、エルヴィスは自分で作曲しなかった類い稀なロックシンガーだ。(モト歌が分からないぐらいの超自分流のアレンジは別として)

そこである謎の解明?!
つまりエルヴィスはヒーラー、すなわちシャーマンだったのだ?!
シャーマンとは、精霊が宿る霊的な別世界つまり超自然界と、我々の住む世界、どちらかというと物質的な世界の仲介を変性意識状態のもとに行う人だ。シャーマンという職能者は主に依頼者からネガティブなエネルギーを「吸い出し」て、「吐き出す」役割を担う。シャーマンの魂が、依頼者のネガティブなエネルギーと一体となって直接、超自然界と交流するのだ。つまりシャーマンは無の状態でなければ超自然界と交流できない。

れい‐ばい【霊媒】
神霊や死者の霊と意思を通じうる媒介者。巫女みこ・口寄くちよせの類。モ―‐じゅつ【霊媒術】

さい‐し【祭司】(priest)
1)ユダヤ教で、エルサレムの神殿に奉仕して、宗教上の儀式・典礼を司つかさどる者。
2)未開諸民族において、祭儀・呪文じゆもんに通じ、霊験をもたらす者。また、神霊の代表者。
3)信仰の対象と俗人との間に立って宗教上の儀式・典礼を司る者。モ司祭
[広辞苑第五版]

シャーマンとはいささかオカルトめいているが、シャーマンと一口にいっても呪医、霊媒、祭司、妖術師なども含まれる。なによりエルヴィスがそのような職能者として過ごしたわけでもないので、ここでシャーマンの実際の能力を云々するつもりはない。
いいたいのは人間も大きく分けると霊的な人と物的な人がいて、超自然的な能力に長けた人というのは存在するということ。なぜ霊的なものが発展するのかは、その個人の脳神経と生活環境と体験が影響するのだろう。
エルヴィスは「ボクは誰にも似ていません」といいながら「オリジナル」はない。しかしエルヴィスのパワーによってオリジナルではない楽曲が個性的な「オリジナリティ」に満ちている。つまりすでにある楽曲をそのまま受け入れ、吐き出したときには全く別のものになっている。しかもその吐き出された曲は人々を癒すパワーが格段だ。もし自分の我というものを強く持っていたなら、エネルギーを「吸い出し」て、「吐き出す」ことは出来ない。自分の我はないが研ぎ澄まされた魂があるのだ。

ひょう‐い【憑依】
(「憑」は、よる・つくの意)
1)よりすがること。よりどころとすること。
2)霊などがのりうつること。憑つくこと。
[広辞苑第五版]

もう少し現実社会のレベルで語ろう。
エルヴィスはあまり自分の意見や考えを公にしていない。しかしそれは「自分がない」のではなく、俗にいう「我が強い」の「我」が強くないだけであって、自分というものがないわけではない。自分の我が強くないということは何でも受け入れることはできる。と言っても魂がきっちり目を光らせているからゴミ箱のように何でもOKということではない。人間が意識できる範囲は氷山の一角で、大半は無意識状態にある。だから酔っぱらっても家に帰れる。魂とはこの無意識の範囲だ。

例えばジェームズ・ディーンに憧れたとしたら、無意識にディーンの感情、精神になりきれるというような、エルヴィスには憑霊(憑依)体験のようなことができるのではないか。[広辞苑第五版]によれば霊などがのりうつること。憑つくこと。とあるので、そのまま理解すればまたもやオカルト的になるが、そうではなくて、いわゆるディーンの模擬をするのではなく、ディーンそのものを感じる能力つまり憑依できる能力が非常に高いのではないかということだ。ようするにもっと魂の奥深いところで感じているということだ。

いとも簡単に、自分の中にすんなりと他者性が入ってきたり、取り込んだりする。それらが、何の考えもなく、魂の奥で混ざりあってエルヴィス模様になってポーンと突然吐き出される。
特に幼少から関心が高かったと思える音楽面では映画以上に憑依した他者性、エネルギーが膨大な量と質なので、吐き出されたものは熟成度が高いのではないだろうか。
多岐にわたる様々な楽曲への取り組みこそエルヴィスが伝えたかった精神性の表現に向かう創造作業である、その作業の成果を高めようとすればより憑依は拡大する。その結果70年代エルヴィスのように何でも歌うということ、そしてそれがヒーリング効果を高めることにもなったのではないか。
その拡大へのかじ取りをしたのが、はからずもエルヴィス観光映画における土着性とそこにある幅の広いサウンドだったといえる。映画はまさしくエルヴィスが「司祭」を務めたイベントであり、それはライブでの<アメリカの祈り>に代表される究極に向かっていたと言えないか。
<ラスベガス万才>と<アメリカの祈り>の間には時の隔たりもあり、曲調もまったく異質、何ら関連性がないように見えるが、実は同じコンセプトで縁取られている。フリーモント・ストリートで"Viva! Viva! Las vegas" と口々に口ずさむ人の姿には生きることの楽しさが発散されている。そのエネルギーのヴァイブレーションを受けてピエロの目にも涙。普段の暮らしは大半の人にとって変わり映えのしない、ストレスの多いものかも知れない。しかし世界有数の観光地で自分の内なる蓋をはずし、自身をからっぽにして歌うとき、羽根を伸ばす瞬間に、精霊が宿る霊的な別世界へ飛翔しているのではないか。エルヴィスは自らをからっぽにすることで精霊を宿し、その力で、人々をからっぽにし別世界に誘い、そこで人々はヒーリングされる。

ギャンブルで財布を軽くして泣くのも人間なら、深夜のチャペルに飛び込んでウェディング・ベルを鳴らして幸せの絶頂に立つのも人間なのだ。
<VIVA LAS VEGAS >が宙を飛び交うヒップなラスベガスでは、生命感が路上から沸き上がり、気分は高揚し、誰彼なく優しく抱きしめたくなる。
ダイスを転がせ、ディスクを回そう!VIVA LAS VEGAS は天使な歌である。



シングル盤解説より

映画にレコードに、飛ぶ鳥を落とす勢いのエルビス・プレスリーと、「ステートフェア」「バイ・バイ・バーディー」と、一作毎にロケットのように急上昇するアン・マーグレット、まさにハリウッドの人気を二分する勢いの二人が、広漠たるネバダの砂漠に咲き香る歓楽都市ラス・ベガスを背景に、持てる魅力を総動員して火花を散らす歌と踊りとスピードにあふれる小気味のいい作品である。脚本は、「疑惑の影」「アンナとシャム王」「星は輝く」などのベテラン・ライターのサリー・ベンソンが書き下したもので、「バイ・バイ・バーディー」「ぺぺ」などのジョージ・シドニーが監督したが、若い両スターの初顔合わせにふさわしいきびきびした演出・編集ぶりである。撮影はラス・ベガス及びその周辺のロケで、「バイ・バイ・バーディー」「アイヒマン追跡作戦」などのジョセフ・バイロックが担当、「ジャンボ」、「けっさくなエディ」などのジョージ・ストールが音楽をつけた。はつらつたる数々の踊りは、デビッド・ウィンターズの振りつけで、若々しいアン・マーグレットの衣装は、ドン・フェルドのデザインになったもの。プレスリーは、ここでは自動車レーサーとして登場し、ソロで、あるいはアン・マーグレットとデュエットで、あるいはコーラスと共に、別項のように数々の歌曲を歌いまくれば、アン・マーグレットも、踊りに歌にはじめてその真価を発揮する。この二人をめぐって、「クレオパトラ」のチェザーレ・ダノーバ、「山」「ブラボー砦の脱出」などのウィリアム・デマレスト、新人ニッキー・ブレアらが助演する。製作は、「ぺぺ」「カンカン」など、ミュージカルの得意なジャック・カミングスが、監督のジョージ・シドニーと協力。一九六三年度のメトロカラー色彩、パナビジョン作品。(十一巻-一時間二十四分)

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