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PART-3

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フラワー・チルドレンの社会

アメリカには世界有数の消費社会だが消費文化に対する対抗する文化(カウンター・カルチャー)が途切れることなく根強く流れている。
いい人々が自分達の土地から追い出され、路上で放浪させられて、飢えに迫られていく。故郷を捨て自分達の進む道をカリフォルニアに見出そうとする。30年代の悲しみと不安を描いたスタインベックの「怒りの葡萄」、50年代のジャック・ケルアックの「路上」に代表されるビート・ジェネレーションボヘミアン的な暮らし、中産階級の不毛からの脱走として独特のカウンター・カルチャーがサンフランシスコのベイエリアを拠点にカリフォルニア州から発信されていた。このどうにも切なくやるせない思いはウェストコースト・ジャズのメッカとしていまも引き継がれており、街中ではいつでもジャズが流れている。モントレーのジャズ・フェスは世界最大級の規模でいまも毎年開催されている。(注:「ビート」は口先だけの言葉ではなく、人々を振動させる行動を伴った言葉である。)
60年代後半にはベトナム戦争介入の泥沼化を背景に、サーファー、サイケ、ロッカー、フォークなど大量の人が混然となって逃げ込むようにビート・ジェネレーションのメッカであり、カウンター・カルチャーそのものである「サンフランシスコ」になだれこむ。それはやがて大きなうねりとなり、ヒッピーとなり爆発する。
暴力的に追い込まれ、凶暴で無意味な日常に不安は高まり、刹那的にドラッグによる幻想へ逃げ込む。しかしそれが現実的な解決をもたらすわけもなく、悲しみはますばかりだ。
そこにあるのは、デニス・ホッパーが名作「イージー・ライダー」で見事に切り取って見せた世界だ。
NO NUKES!(核反対)Tシャツはホワイトボードとなり、プラカードが行進する。いい知れぬ不安と苛立ちはサンフランシスコ発ヒッピーのロックとなって世界にインパクトを与える。
ビート・ジェネレーションの地、1967年、花の「サンフランシスコ」、夢の「カリフォルニア」が中心になったのは当然のことだ。ここしかなかったのだ。
ロックとフォークの融合、それにロンドン発のサイケが加わり、ヒッピーの手によってカラフルな古着が流行する。そしてロックはメッセージを伝える道具になり、こどもの視点で世界を観ることがコアになった。自由になろう!花を着よう!楽しもう!フラワー・チルドレンの社会の実現へ向けて「自然に還ろう」というメッセージが反戦機運の高まりとともに広まっていく。
67年、モントレーの広大な土地を利用して五万人を集めたロック史上初の野外ロック・フェスティバルが開催される。ジミ・ヘンドリクス、ポール・サイモン、ジャニス・ジョプリン等、全員がノー・ギャラで参加した。決定的にロックは変化した。暴力的に追い込まれて変化するしかなかったのだ。

”I HAVE A DREAM”そして”LOVE&PEACE”

1968年4月マーティン・ルーサー・キング牧師がメンフィスのロレイン・モーテルで暗殺される。さらに6月ロバート・ケネディ上院議院暗殺。

その年のクリスマス、ロックンローラーELVISが復活する。ELVIS COMEBACK SPECIALがテレビ放送され、全米70%を超える視聴率をゲットした。I HAVE A DREAMはキング牧師の有名な言葉だったが、ELVISはIF I CAN DREAMで番組を締めくくった。アメリカン・ヒーローの健在を示し、大成功であったものの、時代の流れは変えられない。その復活は誰も真似のできないロカビリーELVISの最後の姿であり、誰も真似のできないエンタティナーELVISの出発点となった。

1969年8月15日、ニューヨーク州の郊外ウッドストックで空前の野外コンサート「ウッドストック・ミュージック&アート・フェスティバル」が開催され、3日間に45万人が参加した。社会史の教科書にも出てくるコンサートにはザ・バンド、ジョーン・バエズ、ザ・フーらが参加した。当初18ドルだった入場券はあまりの人の多さに、「勝手にしゃがれ」状態になり無料となる。大学生らが仕掛けたビジネスは収拾不能になり、フラワーチルドレンの大集会に変身したのだ。

激しさと寂しさ、そして混乱…………大雨、死者、赤ん坊、麻薬、ライフラインのトラブル、それでもLOVE&PEACEに満ちた3日間はアメリカン・カウンター・カルチャーの檜舞台となった。しかしアメリカン・スピリットの真髄は路上、ストリートにあることを実証するかのように、コンサートが終わると45万の孤独がウッドストックから吐き出され路上に溢れた。

アメリカは50年代の建国以来のピューリタン的思想の弱体化と停滞、既成の価値感を粉砕したロックの誕生。
60年代ニューフロンティアを訴えたケネディの登場と死。
そして明るかったアメリカはベトナムの砲火とともに暗雲が覆う70年代に突入したのです。

最後まで読んでいただいてありがとう。これで第一部は終わりです