エルヴィス、エルヴィス、エルヴィス・プレスリーに会いたい
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エルヴィス、エルヴィス、エルヴィス・プレスリーに会いたい
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昔、ビートルズがまだ若く、ローリング・ストーンズが<サティスファクション>や<19回目の神経衰弱>をやっていた頃、
エルヴィスが好きというのは抵抗あったし、ビートルズもカッコ悪くて好きと言えなかった。両者とも女性ファンが多かった。

その後、ビートルズは変身し、機械オンチな女のコのアイドルという雰囲気が一転。マニアックなガキ向けの音楽と思っておかしくないミュージシャンに変わった。その印象は彼等が「機械」を操作することのウェイトが高くなったことで、強まった。しかし歌が主のエルヴィスはそのままだった。

ずっと後になってエルヴィスの歌を科学的に分析する本が出版されたりして、そういうミーハー的なミュージシャンではないんだというようなメッセージが飛んできたりした。

しかし、なんであれ、エルヴィスはすごいのだ。最近ますますそう思う。エルヴィスはうまい。しかしうまい、へたが問題ではない。ハートがある。

ハートで歌うという抽象的な表現で、だからすごいのだと言っても、実際のところ、なんのことやら分からない。
心で歌うと言うより、心のある人間が歌っているというのが正しいのかも知れない。心のある人間が魂から歌うことだ。それはなにもしないで、その人の内側から、内側にあるものをそのまま歌うことだ。

心のある人間が魂から歌うことがなぜいいのかというと、聴いている人が自分のことを考えるからだ。
自分のことを考えられないような歌は、本当は人のためにならない。逃避するための音楽なら麻薬と同じでしかない。
エルヴィス・プレスリーは声で背中を押してくれる。

先日、たまたまテレビであるソフルフルなパフォーマンスで評価の高い日本人歌手が<Amazing Grace
至上の愛>を歌っていて、彼女はソフルフルに歌う技巧を説明しながら歌っていた。

自分のパフォーマンスを主張する態度に対して生理的に拒否反応が起こって気分が悪くなった、ボクはミュージシャンでないから詳しいことは分からないが、技巧で説明できるソフルフルというものがもう理解できないのだ。

反射的にエルヴィス・・・エルヴィス・・・エルヴィス・・・エルヴィス・プレスリーに会いたいと思った。

ボクが自分のたまたまの、しかし長く続いている気分に合わせてiTuneを使ってパソコンの中から選んだエルヴィスの曲たちは大半がB面、アルバム挿入曲で、ヒット曲などない。

しかしエルヴィスが気持ちよさそうに歌っていること、自分が気持ちよく歌うための技巧はあったにしても、他者の心を動かしてやろうという魂胆の少ないものばかりだ。

と、言うもののエルヴィス・プレスリーはレコードを売ることを要求されているので、他者の心を動かすように意識的に工夫しても仕方がないのだが、ボクには鼻歌歌うような気持ちよさにしか聴こえない。しかしだからこそエルヴィスの飾りのない魂が響いてきて、ボクを動かす。

<マイ・ボーイ>を入れたのは大向こう唸らせる、そういうつもりで歌えば、いつでもやれるという意味で入れたにすぎない。

エルヴィス、エルヴィス、エルヴィス・プレスリーに会いたい

<I Believe In The Man In The Sky/天の主を信ず>

1965年にスマッシュ・ヒットとなった<クライング・イン・ザ・チャペル>のB面に収録されたゴスペル。
この時期サントラを除きエルヴィスのシングルはすでにリリースされたアルバムからカットされたものばかりで、それぞれチャート・インはしているが、<クライング・イン・ザ・チャペル>は別格の大ヒットで、日本国内でもトップ10、上位にランキングされていた。

サントラを除けば規模的に<悲しき悪魔>以来のヒット曲となった。
ブリティッシュサウンド隆盛の最中に、ディーン・マーティンのラブいバラード<誰かが誰かを恋してる>と共に、静かな<クライング・イン・ザ・チャペル>は清涼な風のようだった。B面の<
天の主を信ず>はA面とはまた違う見事な声を披露してくれて、いつ聴いてもホッとする。



<Fame And Fortune/恋にいのちを>

あまりにも有名な除隊後の復帰第一作シングルのB面。
エルヴィスにしてみれば、易々とこなしている感じのブラッキーなバラード。
若さに満ちた情感の素晴らしさは、あらゆる流行り廃りを超えて永遠にあせない魅力。音楽のなかに入り込んで楽しめるR&Bナンバー。

自分の感情を認めてもらうために世間の慈悲にすがることなく、自分で認めてあげていいのだよ、自分を生きていいのだよと腹から言ってくれるような気がする。

感情をせきとめることなく、自分で受け止めることができたら、人はゲンキになれる。ゲンキは感情を超えて行動を起こすエネルギー。感情は自分の一部であるけれど自分そのものではない。自分そのものは行動の中に存在する。

「自分の感情を表現しょうとしたら身体が勝手に動くんだ!」・・・・エルヴィス・プレスリーが教えてくれた。エルヴィス・プレスリーのロックンロールが教えてくれた。
それは同時に「ボクの感情世界で休んでいたらダメだよ」というメーセージを内包している。だからエルヴィス・プレスリーを聴くことで、エルヴィスを考えず、自分を動かすために自分を考える。

ボクのエルヴィス・プレスリーはそこから始まる。正確には始まるようにしたいと思い続けてきたのだが。



<It's A Sin/イッツ・ア・シン>

甘い、甘い、甘い、甘すぎて滅多に聴かないカントリー・バラードだが、とにかく巧い。色がある。どんな色?聴く人のキャンパスに描かれるいろんな色。想像する力の源泉になる歌声だ。



<They Remind Me Too Much Of You/あなたにそっくり>

このまま生きていると、もっとも好きな曲になるかも知れないと思ってしまう、ずっと昔から好きな、聴けば聴くほど好きになる、しんみりとしたバラード。

映画『ヤング・ヤング・パレード』のサントラ・アルバムからコミカルなナンバー<破れたハートを売り物に>をA面にしてカットされたシングル。
エルヴィスの複雑な魅力の一面がムーディーなメロディーなかで爆発している名曲だ。起伏の少ないスローな曲を、映画では、1曲まるごとほぼワンカットで収録する大冒険にキングのガッツを感じる。見ているこちらが恥ずかしくなって気合負け。

それにしても、この歌のような気分に一体何度なったことか。
それにしてもなぜ女性は理屈にあわない行動、いくら考えても理解できない行動をとるのだろうか。
気のある素振りでひきつけて、冷たい態度やいじわるな言動を放つ。彼女たちはなぜ、とんでもないリスクのある行動をとるのだろうか、まったく不思議な生き物だ。エルヴィス・プレスリーは世界中の不思議な動物を熱狂させたのだから、不思議な人物であるのも当然か。



<You Can't Say No In Acapulco/ アカプルコの恋唄>

映画『アカプルコの海』からの同名曲のB面として日本国内でシングルカットされたバラード。

プールサイドでミュージシャン役のエルヴィスが歌う。
こういう雰囲気のステージは国の内外を問わずホテルなんかでお目にかかることができるが、自然体のエルヴィスにプロ意識を感じる。
映画のセットでのワンシーンであるが、ワンシーンを通じて、エルヴィスの音楽への生き様を思わずにいられない。素のエルヴィス・プレスリーが浮かび上がる、エルヴィスはすごい。

自然体に聴こえるのは声域を<It's A Sin>のように広くしていないからか。つぶやくようなバラードがリアル。メキシコの広報担当を引き受けてしまったエルヴィスに表彰状あげてもいいんとちがう?謙虚にアカプルコを強調した歌い方に、メキシコは感動したか?
『アラモ』『荒野の七人』のメキシコしか知らなかったボクにこんなメキシコもあることと、

メキシコはメキシコではなくメーヒコッと発音するのだと自転車の乗り方と併せて教えてくれた。いろいろ感謝。



<It's A Wonderful World/すてきな世界>

総天然色映画がエルヴィス・プレスリーに似合う。
切なくなるほどかわいい歌詞ときれいな青空、そして屈託のないエルヴィスの表情。
映画『青春カー二バル』の印象的なミディアムテンポの曲。

ひねくれ者のエルヴィスがそのキャラに反して、愛する彼女の前でこんなにまっすぐな歌を歌うところがミソ。こんな素直な気持ちになってしまうほどの愛する人を持てるのは素晴らしい世界に他ならない。難しいことだけど子供のように裸になれたら幸福だと教えてくれるから、この歌が大好きだ。

サントラ・アルバムがリリース当時1位になっているが、この映画への思いは日本人とアメリカ人では随分違うのではないかと想像する。

この映画に出てくる小さな移動遊園地は、アメリカ人にとって心のふるさとのようなものでないだろうか。

言うなればエルヴィス版『男はつらいよ』なのだ。いなせなエルヴィス寅さんが大好きです。
見るほど味が出てくるスルメのような映画、楽曲は全体に時間も短く、軽く聴こえるサウンド編集に、パンチ不足を感じてしまうが、美しい曲が多く、気にならない。なかでも<すてきな世界>はエルヴィスらしい哀愁があって好きなナンバーだ。

エルヴィス・プレスリーの哀愁というのは、誰にも、何物にも、何事にも、つながっていないような、糸の切れたタコが、とってもきれいに風に乗って空を泳いでいる感じ。
危なげだけど誰にもマネのできないような飛び方で、見ている人がワオーって声をあげるほどに、それが楽しくうれしくて一生懸命飛ぶ感じ。

エルヴィス、エルヴィス、エルヴィス・プレスリーに会いたい


<Happy Ending/ハッピーエンディング>

エルヴィスの歌うバラードが印象深い映画『ヤング・ヤング・パレード』のクライマックスの曲。ハッピーエンディングを讃えるようなリズミカルな明るいハッピーエンドそのままの歌。

しかし弾みをつけながらリズムに乗ってはつらつとしているエルヴィスの楽しさの裏に、エルヴィスのなんとも言えない孤独感が浮かびあがってくる。

ハッピーエンドの重み、大切さが隅々まで行き渡っている愛しい楽曲。幸福の簡易版が蔓延する社会、責任をとらない「ハッピー」が広がる、いまの時代にこそ輝く曲だ。

エルヴィスの歌うハッピーエンドはもちろん責任をともなう幸福だ。ハッピーエンドは一度でたくさんと思うほどに重い、重いのは苦しいということでなく、ハッピーにともなう責任を果たす喜びは。何ものにも換えがたいものだからだ。
幸福・・・簡単なようで難しい。ハッピーエンドの喜びが時を通過することで忘れ去られるからだ。
エルヴィスの声は、本当の幸福に出会ったら大切にしろと言っているようだ。

かって渡哲也の主演映画『陽の当たる坂道』主題歌の歌詞「声あげて笑った時も、泣いているおいらの心・・・」。
その歌詞を思い出さずにいられない。こんなふうに歌えるアーティストはエルヴィス以外に絶対いない。



<What Now, What Next, Where To>

音楽を感じさせない歌。それゆえつまらなく聴こえるか、シビレまくるか、意見が分かれそうな曲。
こんなふうに誰が歌える?体温がリアルに伝わってきそうなハートフルなエルヴィスに無条件降伏。
これは人間が人間の心から、人間の声で呼吸している曲だ。この歌を聴いていると素直になれる。
どんな気分の時でもいい気持ちになれる。

なぜだろうと考える。
多分、素晴らしい歌でありながら音楽を感じさせないからだ。
それこそが最上の音楽なのだ。ただ呼吸がある。
聴いているボクの呼吸に会わせて呼吸してくれるような感じがする。
母親以外に多分誰もしてくれそうにないことをエルヴィスはレコードにして残してくれた。



<Tender Feeling/愛はやさしく>

いつまでも心に残るバラード。
というのもボクが出かけたグレイスランドのキャンドルサービスで流れた曲であり、居合わせた人々が一斉に涙したもの。それはキングの不意打ちの技?親友の声がしみる。
エルヴィス・プレスリーが自分にとって何者だったのかを明確に示してくれた曲。

曲は民謡<シェナンドー>をアレンジしたもので、叙情的なもの。この曲が聴く人の胸を打つのは、アメリカの地に生きた人々の心血、血の汗、血の涙、夢、後悔、懺悔などへのエルヴィスの気持ちとエルヴィスの魂がひとつになって歌われているからだろう。

ジェームス・スチュワートの同名西部劇『Shenandoah(シェナンドー河)』もあったが、アメリカ人にとってこの楽曲は心のふるさとのひとつなのだろう。
親子4代に及ぶ物語をハリウッドオールスター。シネラマで制作した『西部開拓史』の序曲でも演奏されている。<牧場の我が家>をアレンジした<ステイ・アウェイ>とともにエルヴィスはこの映画から偶然だろうが2曲カヴァーしていることになる。

大好きなシーン!
デビー・レイノルズが孫に歌う<牧場の我が家>からクロージング<西部開拓史のテーマ>へ変わるラストシーンにこれらのオリジナル曲のこころと”フロンティア・スピリット”が窺い知れる。エルヴィスの<ステイ・アウェイ>が<牧場の我が家>を<西部開拓史のテーマ>のテンポで歌われている点も興味深い。

<Tender Feeling/愛はやさしく>というやさしい歌の底流に、運命は自ら切り開くものというアメリカの心があり、それはエルヴィスの青春の日でもあったのだろう。
できれば自分の心のふるさとにしたいと思う。ボクは、ないものねだりで”フロンティア・スピリット”に憧れる、アメリカの空気が大好きだ。

晩年エルヴィスはカントリーに自身の魂をとっても素直な形で開放した。
それらはゴスペル以上に高い評価がされてもおかしくない素晴らしさに満ちている。カントリーの殿堂入りしたのも当然。ここでピックアップしたカントリーと共にエルヴィス・プレスリーの深い心を感じる曲だ。



<Echoes Of Love/恋のやまびこ>

一切の不安から解放されて、うわべの飾りもなにもかも捨て去って、ただただあるがままの自分になり、ゆったりと馬に乗って山道を進んでいくような気分になる気持ちのいいミディアムテンポのナンバー。

そんな気分になるのは渓谷を震えながら馬に乗って進んだ個人的な恐怖体験の裏かえなのかも知れない。
アメリカの田舎、そこに行けば牧場があるということなので緑の草原をイメージしてクルマで出かけたら、そこは岩肌の山中。

老いた牧童が馬を用意してくれた。初めて乗馬することを伝えたら、この馬は賢いから、リラックスして乗っていれば大丈夫という。あんたがこの馬を引いてくれるのかと聞くとノーという。岩だらけの渓谷の細道をひとりで乗って行けという次第。これがアメリカ流乗馬レッスン?!

自分の不安が馬に伝わることを恐れながら緊張を隠しながらも緊張が極限に達する生きた心地のしない悪夢!悪夢!この世の終わりと思った冷や汗びっしょりの1時間だった。アメリカはコワおもしろい!

それはともかくエルヴィスの歌には、恐怖の悲鳴をあげる人に対しても歌を通して男女問わずハグする力がある。人の弱さを知っていて、それを許してあげたい気持ちがあるのだろう。

裏をかえせばエルヴィス自身の弱さと許しを乞う気持ち。それは傷のなめ合いではなく、ハグした後に、肩を叩き少し冷たく背中を向けて、「さあ、お行き」と言っているようなそれぞれの孤独を受け入れる声だ。

行くか、行かないかは聴く人の問題なのだ。だからボクはマニアックにエルヴィスのことを考えたくない。どうでもいいことはどうでもいいのだ。ただボクはエルヴィスの歌が好き。

それでいい。それで十分に幸福だ。大事なことは、ボクが行かなければならないということなのだ。
姿はなくても、おーいと呼べば、おーいと返してくれる。2003年のエルヴィスのCD販売状況を見ても分かるように、いつまでもどこまでもこだまする。エルヴィス・プレスリーとは優しいアーティストだ。

 

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