エルヴィス・プレスリーの『ブルー・マイアミ』から生まれたバラード『愛しているのに』

<You Don't Know Me/愛しているのに>
映画『フロリダ万才』からの名コンビ、シェリー・フェブリーと共演した『ブルー・マイアミ』。エルヴィス・プレスリーの才能を使いきらずに温存した贅沢な作り方もエルヴィス映画のお楽しみだ。サントラからシングルカットされたバラード<愛しているのに>はレイ・チャールズの作品をカヴァー、エルヴィスの魅力全開のパフォーマンスが聴ける。

「オレには幸せな歌なんか作れない。幸せなんか知らないのだから」と語ったのはセルジュ・ゲンスブール、もちろん彼一流のシャレだが、エルヴィス・プレスリーは、人生に負けることなく、奢ることなく<愛しているのに>のように悲しい歌を明るく歌い、<ハッピーエンディング>のように、明るい歌を悲しく歌う。

エルヴィスの素敵がボクを導いてくれる。現実のエルヴィス・プレスリーがどうであっても、実際のところどうでもいいことだ。エルヴィス・プレスリーはミュージシャンであり、アーティストであり、作品こそがエルヴィス・プレスリーそのものだ。映画もエルヴィス像も幻想であったにしても、頑張ろうという気持ちにしてくれる。



<Wonderful World/ワンダフル・ワールド>
映画『バギー万才』のオープニングで歌われているナンバー。映画と音楽は切っても切れない深い関係だ。

エルヴィス・プレスリーに全然関係ないことを持ち出して恐縮だが、タランティーノ監督の『キル・ビル』に梶芽衣子主演『さそり』シリーズの<怨み節>が流れた時は、タランティーノの実行力に目頭が熱くなってしまった。
(『さそり』のポスターを以前からサイトで紹介している)。

ついでに日本映画で忘れられないのが、中村錦之助の『遊侠一匹』。
時代劇の大傑作だ!ラストシーン、木枯らしの山道、フランク永井の歌が流れ、錦之助がこどもと共に歩いてくる場面の無常観がすごい。俳優と歌とロケ場所、気象条件、脚本とカメラアングルをひとつに仕上げて人間が作り出す表現の世界の素晴らしさに感動する。NHKでもよく放送しているので、機会があればご鑑賞をおすすめ。

食事をするテーブルの上は主婦が財布と子供の未来と旦那さまのわがままをひとつにして創造する途方もないワンダフル・ワールドのひとつでもある。郵便局の方が雨に濡れないようにポストにハガキを入れるのもワンダフル・ワールドのひとつである。

ワンダフル・ワールドは、身近なところにたくさんある。それは人間や動物や自然が作り出す世界。
ワンダフルでない世界を自分が作り出さないように気をつけようと、エルヴィスを聴きながら時に反省。(正しくは毎日反省しなければならないが)

聴いてくれる人が創るワンダフル・ワールドに負けないように、エルヴィスは頑張って歌う。エルヴィスとリスナーの格闘技になるほどにワンダフル・ワールドは広がって行く。
そういうことを考えるのも楽しい。
しかし行動すればもっと楽しい。ただ時を通過するのではなく、時を生きることを心しょうとエルヴィスの声に考える



<If Every Day Was Like Christmas/毎日がクリスマスなら>

曲はフツーすぎるぐらいフツーって感じだけど、エルヴィスのハートがただの曲に終わらせない。
「歌は心」というのは簡単だが、その本物を聴いたといえる曲。
聴いているうちにエルヴィス・ワールドに引きずり込まれるエルヴィス・マジック。

マジックの種を明かせば、それは簡単だけど誰でもできそうでできない大事なこと。

大人が子供に話しかけるときに分かりやすく話してあげるように、エルヴィスは分かりやすい曲をただ素直に分かりやすく歌う。
分かりやすく話すというのは、本当になって話を聞いてあげるということが先にあってできることだ。
子供は大人以上に好奇心が高く向上心も強い。
子供が本気で話す熱心を聞いてあげるには、子供のひとこと、ひとことに大人も本気で関心を持たないと理解できない。
たいていの大人にはそれができない。「子供のいうこと」と軽く聞く。
なるほど子供は無知だが、大人以上に本気だ。

子供の本気から発する言葉を理解できない大人は子供に分かりやすく話すことはできない。
大人はその権力で意識して、あるいは無意識に子供を封じ込める。
おかげで子供には大人の言うことが分からない。
それをもって子供だから分からないと結論づける大人の姿は醜悪でないだろうか?

人は生きるために自分の痛みや欲求を抑え込み、封じこめる。
無視された無邪気なこころは大人の顔の裏で悲鳴をあげている。悲鳴は誰にも聞こえない。・・・・暗い牢獄の孤独な子供と会話するようなエルヴィスの声。もはや誰も聞こうとしない悲鳴に耳を傾けるのに飾りはいらない。
聞いてやることが大切なのだ。エルヴィスの分かりやすさはそういうことなんだと思ってしまうパフォーマンスがボクを震わせる曲だ。
クリスマスソング、クリスマスを超えて、素晴らしいエルヴィスの人間への思い。歌詞と共にもっと世に露出してほしいと思う曲だ。ボクはこの曲こそ<イマジン>以上に重要な歌、<イマジン>以前に必要な歌と思える。

ロックンロールは子供が本気で話す音楽だった。
いまそこにある命のうごめきに鈍い大人に対して赤ん坊が泣いて伝えようとするように、
エルヴィスとロックンロールはボリュームをあげ、身体で表現した。赤ん坊には言語がないように、魂さえあれば歌詞はなんでもよかった。
<毎日がクリスマスなら>はエルヴィス・プレスリーが”ザ・キング.オブ・ロックンロール”の異名にかけても歌う必要のあった曲だ。

愛ピの好きなエルビス

<Singing Tree/シンキング・ツリー>

淡々としたなかにエルヴィスがどこを見て生きていたのかを思い知らされるようなフォーキーなナンバー。
自然体のエルヴィスと一緒にバンドがさりげなく盛り上げていくアコースティックな一体感も好き。
ハーブティーのようなさわやかな曲だが、サントラ・アルバム『ブルー・マイアミ』のボーナスソングだった。
いい曲、いいパフォーマンスは聴くほど飽きない。



<This Time-I Can't Stop Loving You>

最初に<This Time>を少しやってから<I Can't Stop Loving You>を歌う。
2枚組アルバム『サスピシャス・マインド』からのピックアップ。ライブ盤、DVDなどでおなじみのレイ・チャールズのヒット曲のカヴァーだが、ライブとは違う情感が魅力のスローなパフォーマンス。いい感じ。ホントいい感じ。
こんな感じで愛することをやめられないラブい関係は至福だなと思ってしまう。
どうしてこんなに素敵に歌えるのだろう。天使が舞い降りたようだ。降参のひとこと。アルバムは名盤。


<For The Good Times/心の想い出>

エルヴィス・プレスリーがベスト盤で語れないことを実証する曲のひとつ。
ベスト盤の難点は、ヒット曲ほど当時の影響を強く受けているため、流行が変わると、輝きが弱くなるのも少なくない。
それはエルヴィス・プレスリーにもあてはまると思うのだが、エルヴィスが自分を表現する上で流行にこだわらなかった品格を感じさせるカントリーナンバー、いくら聴いても飽きない、聴くほど好きになる曲のひとつ。

”トレイン”という定番の単語が出てくるのもうれしい。
列車で移動していた若いエルヴィス・プレスリー、列車の移動の様々。
心で歌うというより魂のある場所から歌っている感じ。

現実のエルヴィス・プレスリーがどんな状態であり、どんなことが起こっていたとしても、エルヴィスの真実は歌にあるような気がする。
一生懸命生きようとしたからボロボロになったんだね。ボロボロになるほど自分を使いきったんだね。
だからこんなに素敵なんだねと思わずにいられない曲のひとつ。

たくさんのFor The Good Timesにありがとう。



<Funny How Time Slips Away/時のたつのは早いもの>

<For The Good Times/心の想い出>と双璧のカントリーナンバー。
自分の感情のある場所に目を向けろと気づかせてくれる曲。
とかく慌ただしさの中に、自分を生きるというより、ただやり過ごす方向へ向いてしまう。
朝起きて、生きるというより、夜に向かって通過していくだけの日々。
新しい月が始まって、今月のイベントに向かってただ通過するだけ。

多くの時間がいたずらに消費されていくだけ。
ただ時が時を刻むのが嫌で、命を刻む時間を生きたいと思って、お気に入りのどうしても欲しかった大きめのデジタル時計を買ったが、それでもやっぱり時のたつのは早いもの。

ボクはこの曲の間奏の後の部分が特に好きで、"Gotta go now"のところを根性入れて聴く。
ここのギターもいい。エルヴィスの集中力が冴えている。
ボクの役目は感情世界に溺れることなく愛おしみ、行動するだけなのだ。
拝啓デジタル時計さま、行動こそ自分そのものです。
"Gotta go now" 過ごすな、生きろとライブなエルヴィスが合図を送る。



<Susan When She Tried/嘆きのスーザン>

自分を解き放ったように好調に歌うエルヴィス・プレスリーがいい。
自分のために歌っているようで、その恍惚が他人をも楽しい気分にさせる。
自分が楽しめないのに他者を楽しませることはできない。
裏を返せば自分がイヤなことは他者もイヤだということに他ならない。

自分がイヤなことを他者に押し付けて平気、安直なハッピーという幸福の簡易版を無分別に求める人が増加の一途、いやな時代だ。
自分のために何かをすることが他者に迷惑をかけるのは、自分のためにならないことを知るべきだろう。
それは泥棒、強盗のテリトリーに踏み込んでいるということだ。
精神にはぞれぞれの所有権があるのだ。
著作権の本質はお金じゃなく精神の問題。
なんでもお金で考えると物事の本質が分からなくなるばかりで、モラルも混沌とするばかりだ。

”スーザン”と一緒に嘆きたくなるが、この曲を聴いて嘆くことはない。
素晴らしいパフォーマンスがうれしい。うれしい気分を大事にしたいから他人には迷惑をかけないようにしたい。
でも愛し合う者同士なら迷惑かけられるのがうれしいというのが人間の素敵なマジック。
ラブソングこそ最高の社会へのメッセージなのかもしれない。



<I'll Never Know/アイル・ネバー・ノー>

エルヴィス・プレスリーの人への願いや祈りの気持ちが飛んでくる曲。
ビートルズが好きな人はビートルズの音楽に自分を探す。
エルヴィスが好きな人はエルヴィスに自分を探す。

エルヴィスの存在そのものが音楽であり、エルヴィスの音楽は自分そのもの。
ボクは何がしたいのか、そのヒントをくれる曲であり、歌声だ。
ヒントによって自分がするべきことを実行できればエルヴィスは喜んでくれるのだろうが、残念なことにまだ実行に至らない。だから聴き続ける。

聴くほどにとても申し訳ない気分になるバラードだ。
こんなに素敵に語ってくれているのに、ボクには実行に移すほどに自分が何をしたいのかがいまだによく分からないからだ。
でもこのシンプルな素晴らしい曲のある場所に行きたがっていることだけは確か。
ただ勇気がないだけなのかも知れないが、この曲が聴こえない場所には行きたくない。



<I Miss You/君のいない淋しさ>

どう考えてもいわゆるヒット曲になりそうにない曲。だがそんなことは問題ではない。
ありふれた日常、ありふれた気持ち、かけがえのない一途を歌うのにこれ以上にリアルな声はない。
I Miss You ,I wish Youと本当の心で素直に言えるのはやっぱり人間力なのだ、
力のある人間だからできること。
シンプルであることはどんな場合も大切だ。



<She Wears My Ring/シー・ウェアズ・マイ・リング>

いつでもいまのエルヴィスが聴こえるのがエルヴィス。それがカッコいい。そのエルヴィスが歌うものすごくカッコいい曲だ。それをカッコよく歌えるエルヴィスがさらにカッコいい。この曲には背筋がゾクッとする色気がある。
ひとりの女性を守ってやりたいと命を投げ込み、生を引き受けて、野に輝く男ありて。ボクのいう色気とは許しと受容。カッコいい大人になれるということは想像以上に素晴らしいこと。命がけのありのまま。もうひとつのTRUE ROMANCE。どこからか『駅馬車』のジョン・ウェインが歩いてくるようだ。(クライマックスはシビれる、泣ける!)あるいは『港のマリー』のジャン・ギャバン。
天国と地獄の裂け目の越えて、ただ愛する、ただ生きる。この曲はぼくにとってブルースだ。エルヴィスを聴きながら、ボクはいつ大人になるつもりなのかと自分に問う。



<Woman Without Love/愛なき女>

エルヴィスの熟し方の素敵が集約されたような曲だ。
エルヴィスがここにたどり着いたことの素晴らしさを畏敬の念をこめて称賛する。

しかしそれ以上に大事なことはエルヴィス・プレスリーが何を歌っていたのか、どんなように歌っていたかではなく、ボクが何を、なぜ聴きたいのか?
質問を投げかけることであり、投げかけてくる曲だ。
ボクはこのエルヴィス・プレスリーが大好きだ。
きっとボクは何かから解放されたがっている。

エルヴィスは自分が逝った後に残したもののなかから最良のものを聴いてほしいと語っていたという。
この曲はそのひとつだ。



<Amazing Grace/至上の愛>

エルヴィス・プレスリーは自分のことをキングとは言わない。誰かがそう呼びはじめ、みんなが認めた。
歌を歌うのに技巧はいらない。ましてや神に対峙するのに裸になる以外何が必要なのか。

しかし誰もが裸になれるわけではない。ゴスペルを感じさせない、音楽を感じさせない。
ただ人間が歌っている素朴こそ力。
エルヴィスの音楽の本質が聴こえてくる。
エルヴィスがまっすぐに生きろと肩を叩いてくれる。
ヘボなボクにとって、この歌は生きることへの戦いの歌のように聴こえる。


<My Boy/マイ・ボーイ>

エルヴィスを聴かないで「エルヴィスねえ。・・・」と言ってる人が目の色を変える曲。
そうだ、聴かずに決めつけるな。他人を批評するな、物事を見出しで生きるな、世論を自論にするな。
誰の心にも住んでいるマイ・ボーイに愛を。
牢獄から仮面の男と共にそれぞれの”マイ・ボーイ”を救い出した四銃士の物語、映画『仮面の男』はカッコよかったな。

そうだ、マイ・ボーイを見捨てるなかれ。



<Pledging My Love/プレッジング・マイ・ラブ>

王監督や長島さんには他の監督さんやOBの方々と違う気品がある。
本当に素晴らしいものには、どんな欠点があってもそれを打ち負かす気品がある。
エルヴィス・プレスリーにはその気品がある。
<ザッツ・オールライト>あるいは<恋にいのちを>から遠く歩いて、緑の青葉のきらめきは失せても、それを超える力がある。

エルヴィス・プレスリーが歌う<プレッジング・マイ・ラブ>は愛おしいR&Bナンバー。
ほんま、愛おしいぞ!空間を漂う曲と歌声を抱きしめて、抱きしめて「ああ、エルヴィスだあ」と、うれしくなる曲。
キングは永遠。人は朽ちる最後の瞬間まで自分を生きる現役であったらきっと幸福だし、きっと誰もがそうだと思う。



<Who Am I ?/私は誰?>

本当のところ、これはもう歌ではない。
エルヴィスの魂から響いてくる声だ。
人はそれをただ歌と呼んでいるにすぎない。
ボクは声に手で触れる。そんな錯覚をしそうなくらいに、エルヴィスを近くに感じる声だ。
自分を生きるのが一番幸福なのだと勇気づけられる声だ。

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