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エルビス・プレスリー、エルヴィス・プレスリー

私は誰?/WHO AM I ?

 そもそもELVIS PRESLEYコレクションというページを発展的に運営していこうと思ったのは、エルヴィス・プレスリー フアンクラブの赤沢会長からメールをいただいたのが始まりだったと思います。

グレイスランドへ行って写真を撮ってもっていたのを、ただ持っているだけでは勿体無いと思って、たまたまサイト運営をしていたので,その一部にアップロードしました。

それが会長の目に止まり、メールを頂戴し、それが動機づけになってページを増やしていくうちに"Yahoo”の目に止まり、推薦をいただきました。
ますます後には引けなくなって怠け心にムチ打ってやっている内に、たくさんメールをいただき、そのメールに胸打たれ、またBear Catサンをはじめ本当に素晴らしい方に陰に日向に応援していただき、ここまで来ました。BBSの火を燃やし続けていただいているBear Catサンにはなんとお礼言っていいやら、ありがたいことです。

最近またリンクしましたとメールをいただきました。
『ダックテール』というエルヴィスのコピーバンドさんで、アマチュアだということですが都内「六本木ピットイン」で初ライブをされたとのこと。リンクの理由は「エルヴィスを聞いたことがないメンバーもいるので」ということでした。
それは嬉しいことでした。(本懐を遂げたような気分!)
『ダックテール』というバンド名もエルヴィスのヘアースタイルそのものですよね!

エルヴィスを聞いたことがない人が[増殖]しているようです。
こういうとなんですが、我が国は何でも使い捨て感覚が強いようで、その点あのアメリカは新しいことをどんどん生み出す片方で、古い曲をサントラにどんどん使ったりしていますし、日常的にラジオや街でも使用されています。わが国ではキング、エルヴィスその人自身についても風化し、歪曲されていく傾向もあります。

あるテレビ番組で、歌手を本業とされている方がエルヴィス物語を随分いい加減な調子で話していらっしゃいました。
「『やせてきたらラスベガスのショーの出してやる』と言われて、ダイエットして、ショーに出してもらった。それで人気が出た」というような展開でした。他の職業の方ならいざしらず同業の方が、しかも世界最高のキャリアや記録を持つエルヴィスのことをこんなように言うのは本人も本人なら、テレビ局もテレビ局だな」と思いました、その後、その方は同番組で見かけることはなくなりました。(!)
また「ROCK」というロックの辞書のような書籍があって、それを立ち読みしてると、これもひどい内容で事実と全く違います。話の辻褄が合わないので、多分翻訳ミスだと思うのですが、そこにはエルヴィスのショーにシナトラをゲストに迎えてーーーーとあり、最後はドラッグという具合です。その程度ならいいのですが、エルヴィスを蔑むような文章には憤りを感じます。

このサイト運営の目的はエルヴィスを正しく知ってほしいというのが一番の目的です。
と、言ってもエルヴィスに会ったこともない者に、どれが正しいのか、これまで伝えられてきたことを垂れ流すのが限界と言えばそれまでなのですが。
しかし膨大なインタビューを基にした書籍、ピーター・ギュラルニック著「エルヴィス登場!」(原題:LAST TRAIN TO MEMPHIS)でさえ「これはぼくのエルヴィス・プレスリー物語である」とことわりが記載されているように、どこまで調べても真実は闇の中です。(エルヴィスが存命中だったとしてもです。)

こういう例もあります。
ア メリカの高名な文化人類学者ルース・ベネディクトが書いた日本人論 『菊と刀 −− 日本の文化の型』1944年、対日戦争集結を目前にして、日 本の戦後処理政策決定のために、アメリカ陸軍局の委嘱を受けて書かれた この書籍はその分析力の高い評価とは裏腹に筆者は一度も日本に来ていないというのも驚きでした。

ピエロごときがルース・ベネディクトやピーター・ギュラルニックの名前を出すのも恐れ多いことですし、エルヴィスには会ったことがないけれど、この人間社会の営みには「原理原則」があり、「普遍性」がある。
そこから必ず見えるものがある。ある意味では知らないから感じ取れる部分もあるとさえ考えました。
しかもサイト運営上での自分の最大の関心は「人間エルヴィス」であり、それも「サンレコード」から傷ついていたひ弱な小鳥が渾身の力で巣立っていくようにして、大きく空高く舞いあがっていった姿にあります。

「エルヴィス登場!」のまえがきにこういう一節があります。

「かわいそうに」とローズは言い、そのとき何かがぼくの頭の中で爆発した。それは「エルヴィス・プレスリー」ではなかった。それはメンフィス南部のソーダ売場にたむろしている少年だった。そこらにいる誰とでも同じように、夢想に耽り、ジュークボックスに耳を傾け、ミルクセーキを飲み、いとこの仕事が終わるのを待っている少年だった。「かわいそうな」やつだった。

この気持ちが「エルヴィス登場!」を書く動機になったということですが、そういう意味ではよく似ています。
エルヴィスが何をしたのか。
エルヴィスが残した遺産とななにか。
それらから私達は何を学ぶことができるのか。
それぞれの「ぼくのエルヴィス・プレスリーの物語」があっていいと思いますし、その意味ではこのサイトは「ピエロのエルヴィス・プレスリー物語」ですが、「エルヴィスに教えてもらったぼくらの物語」と言ったほうが正しいと自分では思っています。

これだけの偉業を成し遂げた人の死を「ドーナツの食い過ぎで死んだ」とか「ドラッグやって死んだ」とかバカな一言で片付けるのは、悲しいことです。地球の果てまで譲って、もしそれが事実だったとしても、そうなるには理由があります。おもしろおかしく中傷して偉業の裏にある尊い「生」を軽々しく扱うのは、自分の「生」を辱めるのと同じくらいに惨めなことではないでしょうか?このページを見ていただいている方にはいるはずがないのですが、マスメディアの悪い部分が歪めているのが残念です。

あのルドルフ・ヒトラーは少年時代に父親から毎日のように殴られ続けたそうです。
殴られている間中、そのパンチの数を勘定しろと要求され、声に出してカウントしていたのです。
そして奇妙にも自分の愛人たちはいずれも父と母の年令差とぴったり同じです。
少年時代に体験したことが、人に対する態度になりました。
ヒトラーはユダヤ人にかっての無力な自分を投影し、自分の父が自分にした虐待を多くの人にしました。
わずか父と子というふたりの関係で起こったことが、多くの人に投影された結果の惨劇です。

エルヴィスの場合、その晩年は母グラディスの運命をそのまま歩んでいます。
ひとり息子が人気スターになり、自分の手許から離れていくことで、淋しくなったグラディスはアルコールに手を出し。身体を悪くした上、1958年エルヴィスが入隊中の留守の間に48才の若さで心臓麻痺によってエルヴィスの許から永遠に消え去りました。

エルヴィスは公的には低調な時期があったものの、プリシラと結婚して私的には幸せだったはずの時期がありました。しかし「いるべき場所」へ復活し、コンサートを続けることで、最愛だったはずのプリシラを遠ざけてしまいました。エルヴィスは若き日の自分を再現することで、プリシラをグラディスと同じような立場にし、そのために「破局」が訪れ、今度は自分がグラディスの役割を演じることになりました。それはまるでグラディスになるために巧妙に仕組まれたような人生でした。そして父バーノンが若き日のエルヴィスを演じる羽目になり、エルヴィスの死後2年後に他界。あとにはリサ・マリーが残されました。

プレスリー家族の物語の幹は「母と子の物語」です。それは松本清張の「砂の噐」の巡礼の父と子の旅路にすら似ているように思えるのです。
あとに残ったリサ・マリー、彼女には本当に幸せになってほしいと思います。常にエルヴィスの看板を持ち歩かねばならないのは苦痛だと思いますが、父エルヴィスが得ようとして得られなかった心の安住を手にしてほしいと思っています。(で、ないとエルヴィスが可哀想すぎるもんね!)

ヒトラーが世界中を恐怖に陥れたのとは逆に、エルヴィスは世界中に熱狂と興奮、そしていまは癒し慰めのメッセージを送っています。それは母グラディスの明るい面が生かされたのです。
相反するふたりを引き合いに出しましたが、これはほとんどの人にあてはまるロジック。

サム・フィリップス/「エルヴィス登場」の一節

サムは自分が探しだし、吹き込ませた偉大な「ニグロ」・タレントが投影する劣等感(社会、心理、知覚の劣等感)と同一視した。確信はできないが、エルヴィスには同類意識があるのを感じとったと思った。黒人音楽に対してだけではなく、黒人文化に対して破壊的とも言えるほどにひきつけられる、人間の平等に向かう初期段階の苦闘と信念にひきつけれる、そういう秘密を自分と共有していると思った。それが明確にはとてもサムには言い表せないとサムが感じていたことだった。人間は誰しも自分自身の暗闇に転げ落ちるような運命づけられいる。あまりにも危険が大きいというだけの理由にしてもである。

エルヴィスに限らず、ロックンロールには「負のエネルギー」が強く作用しています。
そのせいかビッグネームの最期は悲しい場面が多いようです。
エルヴィスを好きだったドアーズのジム・モリソンジミ・ヘンドリックス、ニルヴァーナのカート・コバーン。ピストルズに至ってはもう最悪です。マービン・ゲイ、サム・クックや古くはブルースのロバート・ジョンソン等ブラック勢は父親や女たちによって殺されてしまいました。ジョン・レノンにもそういうものを呼び寄せるナニかがあったのでしょう。

負のエネルギーから発散されていたのは、自分の真の感情を生きようとする反対のエネルギーです、
禁じられた怒りや悔しさから自分を守るためには自分の感情から疎遠にならざるを得ません。しかし人の感情はそうたやすく抑圧できるものではありません。
その摩擦から生じる熱こそがロックンロールの生命力であり、エルヴィスはそれを体現しました。可能な限り高く舞い上がりました。しかしそれでも負のエネルギーは容赦せずにエルヴィスを苦しめました。
エルヴィスの音楽はそういう音楽であり、「心」「魂」にこだわりはしたものの、決して技巧にたよらなかった。

おばのリリアン/「エルヴィス登場」の一節

おばのリリアンが言っていた。「(略)明かりを消さないと歌いませんでしたよ。暖炉に火がついていたけれど、それだけじゃエルヴィスの顔は見えなかった。あの子は部屋のはるか隅に行ってしまって、それほど内気だったんです。」

みなさん!ちっちゃな気持ちを痛め続けて育ったせいで、下を見て小さな声でどもり気味にしか話せなかった子が世界中をひっくり返したんですよ!なんと痛快ではありませんか!凄いですよね!(大拍手大喝采お願いします!!!)

そして、そこにアメリカという国家の「良心」を感じるのです。そしてそれをまたキング牧師は無意識の内に信じたのではないでしょうか?(ピエロ的にはロックンロール学というものが社会学と同じような位置付けであってもおかしくないと思っています。)

エルヴィス。そこにあるのはわれわれの日常的な身近な物語です。
だから客観的に見るように務めています。我ながら冷たい視線でキングを見つめていることもあると思うのです。
で、よくある 「エルヴィスであれば何でも買うファン」というスタンスでやってしまうと、却ってエルヴィスが残した大切なことが歪んでしまうようにならないかということもあって、あえてファンクラブ会長はじめ温かいご声援に背を向け仁義に反してファンクラブにも加入せずに”どうせ、おいらの行く先はグレイスランドの塀の外”とひとりよがりのストイックに徹して自分の仁義通させていただいています。(かっては加入していたのです。辞めた理由も特にはなく、引っ越しがきっかけだったはずです。)それでも可愛がっていただいて本当に感謝です。

ピエロごときが言うのは僭越なのですが、誤解を招かないようにしておきたいので、少しばかり補足。
ファンクラブが「エルヴィスであれば何でも買うファン」の集合体だったら、こんなに長く続いていません。これだけ続いているのは真摯な態度、目標があるからですし、それを可能にしてるのもエルヴィスの実像の力でしょう。スター稼業ですから当然虚像の部分もあるもののくり返し音楽を聴き、映画を見ながら、語り、エルヴィスを見つめる作業をしながら、実は自分を見つめる作業をされているのだと思います。

皆様のおかげで、ピエロは実際には「極楽ドッグ」で気楽に運営しています。ありがとうございます。

そして今週、おすすめで取り上げたのはロックンロールではなく、<私は誰?/WHO AM I ?> です。

ロックンロールの喧噪から離れてそっとひとりなった時に、つぶやいているような曲、この曲はすごくシンプルで「自然体」です、何の技巧もない。それでいて凄い!その凄さが尋常ではない。この曲を聴いていると例えスキャンダラスなことがあったとしても、それは気の迷いでしかなく、ここに本当があると思います。
「この人が悪いことするはずないジャン!」の一言で終わりにできるものが伝わってきます。これを聴いていると部屋中が「善良」のおたまじゃくしでいっぱいになります。

「あのおチビちゃんが、ここまで歩いて来たんだアー」と感心してしまいます。
あるいは「あのおかしなおニイちゃんが、こんなに大人になったんだネ」という気持ちになる人もいるでしょう。

"エルヴィス・プレスリー、エルビス・プレスリー、

私は誰?

なぜ、神は栄光の国から
私達のような下々の者と
共に苦しむために来られたのだろう
そして、私の代わりに苦しんで下さった
私は、自分自身に問う私は何者なのか?

.私は何者なのか?
神は私のために傷つき、死なれた
私は何者なのか?
神は私のために祈り、
「私の御子は永遠に死なず」と書われた
答えなどきっとわからない
なぜ、私をこんなにも愛して下さり
なぜ、私のために自ら十字架にはりつけられたのか
一体、私は何者なのか?
「汝が私に誠意をあらわすなら私は汝から去ることはない、永遠の命を与えよう」
神のこんな言葉を思い浮がべ
私が彼の御子にしていただけるような
何をしたのかを考える

なぜ、私に戦いを乗り越える力を与えられたのか
一体、私は何者なのか?.

(くり返し)
なせ、私のために自ら十字架にはりつけられたのか
私は何者なのか?

WHO AM l?

When I think of how he came so far from glory
Came to dwell among the lowly such as l
To suffer shame and such disgrace
On my account did take my place
Did I ask myself this question
Who am l?

* Who am l?
Then the king would bleed and die for
Who am l?
That he would pray "Not mine will die, Lord"
The answer I may never know
Why he ever loved me so
That to an old ragged cross he'd go
For who am l?

When I'm reminded of his words
"I'll leave never
If you'll be true, l'll give to you life forever"
Oh wonder what I could have done
To deserve God's only son
To fight my batties until they're won
For who am l?

(Repeat)

That to an old ragged cross he'd go
For who am l?

もし、まだお聴きになってないなら是非聴いてください。<メンフィス・1969・アンソロジー/サスピシャス・マインド>、昨年リリースされた<Peace In The Valley>に収録されています。アーリー60のきれいな声のエルヴィスを彷佛させる上にさらに「大きさ」が加わって素晴らしいです。
似たようなタイトルの<DO YOU KNOW WHO I AM >の方は最新アルバム<バラード2>に収録されましたが、こちらは入っていません。個人的にはこちらのほうがお薦めですが。

「なぜ、私をこんなにも愛してくださり、なぜ私のために自ら十字架にはりつけられたのか
一体、私は何ものなのか?」

今日はみなさまにただお礼が言いたかったのです。
もちろんエルヴィスにも。

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