「八甲田山」「二百三高地」

「八甲田山」「二百三高地」
この2本の映画を鑑賞すると、リーダー、マネジャーという者はどのような者か、ほぼすべてが語られているように思います。
と、いうわけでしきりに人に薦めます。
「八甲田山」という映画は、小説「八甲田山死の彷徨
」(文庫) が映画化よりも先にベストセラーになっています。
しかし企画段階から興行的にヒットは難しいと言われていたそうです。
明治時代を舞台にしたものは当たらないというのが定説だそうです。
でも公開したら大当たり。
「二百三高地」も明治が舞台ですが、こちらもヒットしました。
この2本の映画は映画的にはまったく関係ありませんが、どちらも日露戦争が舞台の実話がベースです。
「八甲田山」踏破に苦闘に打ち勝ち成功した人たちは「二百三高地」で戦死されました。
とても切ない。
時空を越えて、畏敬の念を飛ばすことしかできませんが、その功績をムダにしないためにも、偉大な物語から学びたいと思います。
「八甲田山」が予想に反して大ヒットしたのは、指揮官によって部隊は変わる点がビジネスマンの関心を集めたからです。
しかし自分が「八甲田山」を推薦するのは、それ以上に「指示命令の出し方」です。
2つの部隊が青森、弘前からそれぞれ「八甲田山踏破」を試みますが、ほぼ全滅と全員無事生還という対照的な結果に終わります。
その最大の原因は準備(計画)と指示命令の違いなのですが、それがことごとく違う。
この映画を推薦するのは、指示の出し方がビジュアルではっきり比較出来る点です。
さらに準備(計画)の違いがあります。
計画は、望む結果から逆算して策定するのが鉄則です。
「目標に向かって頑張ってやりましょう。」ではとほほになります。
劇中、全滅する部隊はこの過ちをやっています。
指示命令は、ひとりずつ、しかもひとつずつが基本です。
複数の指示を出していいのは管理能力がある、優先順位が設定できる人に対してに限るものです。
是非、映画を観て確認してください。
それと「丸太橋は一気に渡る」というのも鉄則ですが、これも観ることができます。
最大の難関を前にして「距離役7Km、これより一気に八甲田を踏破する!」と指示を出す指揮官(高倉健)の号令には、何度観ても涙があふれます。リーダーの心中を察すると筆舌に尽くせないものがあります。
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「二百三高地」は乃木希典(仲代達矢)率いる依存的な高官によって、甚大な被害を出しながら、国家の危機にあたっても尚、反省することなく続いて行く様が淡々描かれています。
その窮地を救うのが児玉源太郎(丹波哲郎)です。
原作ではありませんが、司馬遼太郎著「殉死」を読んでから観るとさらに分かりやすいと思います。
ここでは感情的な反応によって行動する指揮官と、自らの選択によって行動する指揮官、タイプの違う指揮官が描かれています。
感情的な反応によって行動、指揮する指揮官の特長が分かりやすく描かれています。
現状がこうなっているのは本部、環境、条件が悪いからで、条件が変われば現状は変わる」という主張に繰り返し行われます。
確かにそういうこともあるでしょう。
しかし、これこそ依存的な人の際立った特長なのです。
リーダーにしてはいけない人です。肩書きを与えても、なれない人の特長なのです。
一方、依存しない人、つまり自分の行動、選択は自分がするものであると考えている人、つまり自律心の旺盛な人の考え方、行動は明らかに違います。
それが事実であっても、その制約のある条件のなかで自分にできること、チームにできることは何かと見つけ出し、それを生かしてできるまでやろうとします。
その際立った場面があります。
二百三高地に陣取った敵の要塞を攻撃するにあたって、自軍の援護射撃をするというのが児玉源太郎の案です。
それに対し、乃木の部下は、天皇陛下から授かった貴重な兵士に自軍の砲弾があたり、自軍に死者が出るという反対意見を出します。
児玉は怒ります。
「そういいながら、いままで夥しい戦死者を出して来たのは、貴様らではないのか、戦は気合だ。」
この場面での「戦は気合いだ」の意味は、リーダーとは自らの責任において行動するものだ。それはどこか違い所にあるのではなく、自分の手許にあるという意味だと思っています。
一方、感傷的になった乃木は自らが先頭に立って、部隊を率いて最後の突撃をする案を出します。
児玉をその案を一蹴します。自己満足で国家の危機は救えない。
戦意を喪失した挙げ句に、部下を巻き添えにした責任の放棄でしかないからです。
児玉がしたいこと、しなければならないことは国家滅亡の危機からの脱出、その一点だけであり、そのために自分たちのできることは何でもするという態度なのです。
この場面も、「八甲田山」のリーダーと同じく苦渋の選択をするリーダーの姿に胸がつまります。
事態に感情的な反応しかしていなかったリーダーと、自らの責任で選択して行動するリーダーの違いが描かれています。
無為無策を自覚せず現状は状況のせいとするリーダーと、自分の手で現状を変えるというリーダー。
その決定的な違いは人生観、人間観の違いによるものでしょう。
自分の人生の主人公は自分である。と考えるか、
自分の人生は他者によって動いていると考えるか、
あなたなら、どっちがかっこいいと思いますか。
どこまでいけるか分かりませんが、「できるまでやり続けるぞ」と言いながら、かっこよく生きたいと思うのです。
この2作品はDVDとなって死ぬまでバイブルとして、傍らから離れないと思います。
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