| 成人は18歳?20歳?
成人を18才にするか、20才にするのか、成人年齢の引き下げの是非を問う民法改正議論がはじまった。
法改正の手続きを定める国民投票法(昨年5月成立)で投票年齢が18歳以上とされたのに伴っての議論だ
。
法制審は学者 、教師、企業経営者ら20人前後を委員に選び、3月にも議論を始め、約1年がかりで答申をまとめるそうだ。
引き下げの方向になっても、法務省が民法の改正案を国会に提出するのは09年秋以降になる見通しだ。
社会での「一人前」の基準を決める根本的な問題だけに賛否は分かれていて、どのような結果になるのか、先は不透明。
成人年齢の引き下げが実現すれば、日常生活に幅広く影響を及ぼす。
現在の民法では、親の許可があれば結婚できる最低年齢は「男性18歳、女性16歳」。
というように、親の許可、裏を返せば親の保護のもと。
つまり、親が大人と認めるかどうかが、親が何才をもって子育てが完了しましたといえるのかどうかが問題の核心。
親が何才までに子育てを終えられるかという視点が重要なのだ。
犯罪の低年齢化による厳罰化なども論議のひとつにある。
その原因を求めると親が目標を持たずに子育てしているのが問題なのだ。
「こどもは一緒に住んでいる人」ではない。
そもそも成人の資質とはなにか、親は分かって育てているのだろうか。
それを抜きにするから基準が決められない。
18才がいいか、20才がいいのか、 法律によるメリットとデメリットの問題ではないだろう。
自律心を身につけて自立する。
早く一人前になることはいいことに決まっている。
問題は親がいつになったら一人前にしてあげられるのか、どうか。
国はルールとして線をひく。
その引かれたゴールに向かって親は子育てを計画し実行する。
基準を決めたら、その基準に届くように子どもを育てるだけである。
自分の手許から離しても、大人としてやっていけるのか、その見極めをするのは政府ではない。
親の役割を果たせるのに何年かかるか、親にこそ、その覚悟を問うべきなのだ。
18才がいいか、20才がいいのか、こどもが選ぶ問題ではない。
親の責任放棄を後押しするような言い方を大人やメデャアに関わる人は断じて言うべきではない。
権利と責任、云々が語られるばかりで、愛が語られないのは怖い。
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